LR/sounds.Artででです。
昨日ちらっと不登校に関するツイートを見かけたのをキッカケに、
そもそも不登校の本質的な原因って何だろう?
ってしばらく考えていました。
コミュニケーションとかいじめとか勉強運動できないとか、いろんな理由があるんだろうなーとは思ったんですけど、
「たぶんそんな研究あるんだろうな」
って思ったので調べてみると、以下の論文に当たりました。
不登校問題の社会学 に向けて(加野 芳正、教 育社会学研 究第68集(2001))
なんか概説ぽい感じなので細かいことは個別の論文で書きますよーみたいな感じではあるのですが、「おっ」と思ったのは
直接的な理由なく「なんか行きたくない」って子が実は多い
ってところです。(2001なので今はまた変わっているかもですが)
なんというか「いじめとか同調圧力とかそういう悪いところがあるので解決しましょうね」みたいな視点が強いイメージあったので、へえと思いました。
(僕もあまり学校って行ってなかったですが、「勉強が嫌で別なことしてた方が楽しい」「長時間の拘束ムリ」朝起きるのもムリ」「家庭ストレス強くてもうムリ」みたいな感じで明確なクリティカルな理由ってなかった気がします)
それで
なんで「なんか行きたくない」ってなるの?
って言うと、「『学校はいくべきもの』『聖なる場所』みたいな前提が崩れたからなんじゃないの?」ってことでした。
マクロレベルで社会における学校の意味合いが変化してきて絶対いくべき場所じゃなくなったってことです。
逆に言えば「特に理由ないけどなんとなく学校行くの当たり前だった」みたいな感じで、疑問にもならずに一斉に学校行って授業行ってた子が大半だったってことです。
(他にも『個人の問題&教育側の問題』の2側面からの考察もミクロレベルであるみたいで、根深いなと思います)
それでまた色々考えてみたんですが、僕は
今の学校教育はもう時代に合っていない
とは感じているので、行きたければ行っていいし行きたくなければ行かなくていいじゃんって思っています。
と言うのも、学校教育って『絶対的な正解を再現出来るようにする場所』でその正解を答えられないと点数引かれる減点方式なので、
言われたことを言われたようにやる労働者教習所
みたいな側面が強いイメージがあります。
戦後復興とか高度経済成長の時はそれで良かったけれど、今の時代にはもう合っていないよなーというか。
なので、行かなくてもいいじゃんってのが基本線ですが、一方で
・国算理社とかの基本的知識はなんだかんだ役立つ
・社会は割と理不尽なので理不尽さ教育にはなる(理不尽やめろって感じですが)
・みんなが起業家のような自由さがベストではない
といった面もあるので、行きたかったら行ってもいいなって気持ちもあります。
とはいえ勉強に打ち込めば打ち込むほど『絶対的な正解がある』という刷り込みが入っていずれ苦労するので、とりあえず
行かない場合はなるべく本をいっぱい読んで世界を広げておく
と、後々良いかなーと思います。
不登校の話に戻れば、やっぱり2つの社会(学校と家庭)だけで生きてると両方ダメになった時に絶望100%になってしまうので、本の中だけでも世界を広げておくと色んな視点が手に入って楽になるというか。
(ブラック企業もおんなじで、そこが全てと思わされてしまうとキツいです。)
なので世界を広げて、知識もちょっと手に入れて、行きたい時は行って行けなくても自分を責める必要はなくて、って感じで心の裾野を少しずつ広げておけたら良いのかなあと思いました。
なかなか学校制度全部変えちゃおうみたいなのは難しいと思うので、個人で出来ることをしていけたら良いと思います。また引き続き考えてみます。
LR/sounds.Artででした、おやすみなさい。