LRででです。
昨日ラーメンというか汁なし担々麺をたべながら「お化けっているのかなー」って何となく考えてました。
汁なし担々麺↓

担々麺を食べてたこととお化けは何の関係もないと思いますが、たぶん唐辛子で脳が沸騰して冴えてたんだと思います。
麺の中に見える白いナッツみたいなツブツブを見て、ニンニクだと思って僕は絶望した(大量のニンニク苦手)のですが、食べてみたらたぶんクルミみたいな何かでした。
チャーハンとギョウザも食べたんですがおいしかったです。当たり。
それで、お化けっているの?って話ですが、
僕はお化けはいる派です。
いるというか、「お化けって知覚できてもおかしくないよねー」派です。
『お化けはいるのか』ってテーマを考えるなら、『いるの意味』について定義しなくちゃいけません。何をもっているといえるのか。
いるって意味については、「お化けが見えた!」ってやつから、ポルターガイストとか呪いとか色んな話があると思うけど、ここでは単純に『いる=知覚できる』ってことにしようと思います。
じゃあ
知覚って何?ってところを分解すると、
基本的には
1、何かの出来事がある
2、それを五感で認識する
3、脳内情報と照らし合わせる
4、ひとつの映像をつくる
って4ステップだと思います。
例えばそのへんにリンゴがあるとすると、
1、リンゴがある(出来事)
2、「リンゴがあるぞ!」(認識)
3、「(リンゴってうまいよね)」(脳内情報)
4、「うまそうなリンゴだ、食べたい!」(映像)
ってなります。
リンゴが大嫌いな人なら、3番の脳内情報が「(リンゴってくそマズい)」になるので、4番が「くそマズそうなリンゴだ!駆逐しろ!」ってなります。
それで、この時に出来事の刺激割合が大きい場合は現実的な映像になって、脳内情報の刺激割合が大きい場合は妄想的な映像になります。
妄想的な映像についてリンゴの例でいえば、
かつてリンゴに村を燃やされてトラウマがある人
がいたら、動かないスーパーのリンゴを見て襲われる幻覚を見るかもしれません。
そんな感じで、お化けの知覚もまた、妄想的な映像と現実的な映像の2パターンがあると思うんですね。
例えば小さなころ、トイレに続く暗い廊下をめちゃくちゃ怖がってる子供がいたとして、その子の脳内では間違いなくお化けがいます。
でも大人がパッと電気を点けて、「ほら、何にもいないでしょ」って言ったら、子供によっては「なんだいないんだ」って思って、お化けがいなくなります。
これが妄想的な映像、脳が作り出した映像です。
でも実際に知覚しているのだから、お化けはいるってことになります。
じゃあ、
現実的な映像って何?
っていったら、実際に現実にお化けないしお化けの元となる刺激があって、それを知覚しているパターンです。
こっから『現実にお化けいる派』の話なんですが、僕はお化けって、過去とか未来の映像がにじんでる様子だと思うんですよね。
この世界ってよく3次元ないし時間を足した4次元だって言われますが、結局のところ4次元って疑似的に4次元としているだけです。
例えばマンガを僕たちは2次元って言うけれど、よく見たらインクとか紙の高さとかあるし、実際には3次元なんですよね。
じゃあなんで2次元って言うのっていうとそれは概念上の存在であって、イデアみたいなものです。
同じように4次元も、縦横高さに一つ軸を足したところでめっちゃデカい人から見れば3次元です。
なので
僕たちは永遠に3次元世界の住人
にしかなれません。
過去現在未来という時間軸はフェイクでしかなくて、『過去現在未来が同時に存在している』って僕は思ってます。
本質的にはすべてが現在なんですね。
だから、過去や未来の映像が、その辺に焼きついててもおかしくないよねーって考えてるので、お化けはいる派なんです。
他にも、僕たちはホログラフィックで2次元から出てきた映像だから一つの絵の中に同時に時間が存在するとか、
そもそもこの世は相対的で絶対的なものなどないのだから3次元も絶対的な基準じゃないので3.3次元ぐらいのとこにアクセスできてもおかしくないよねとか、
色んなことを担々麺食べながら考えてましたが、長くなりすぎるのでまた書きます。
LRででした、おやすみなさい。