毎日、何かを作るということは、
癒されているということに近いかもしれません。
僕が主体的に音楽を始めた理由というのは、
自分なりに、とても辛い想いをしていた時に、
そこに音楽があって、救いだったからです。
そのうちに音楽は、
生きている根拠とリンクするようになりました。
「生きている根拠を、説明してください」
こう、自分自身に言われた時に、
心臓が動いているからとか、思うから生きているとか、
それを示すのに限界があるのは、人生の最終目的地に書きました。
しかし何かしらの存在である以上、
生きているんだなぁと感じることはあるわけで、
この「感性」は「論理」より優位性があり、
その「感性」を通じて、相対性を越えて、
「絶対的に”生きている”と言える存在」
つまり、神のようなものにつながっていると思ったんです。
ここで”神”というと語弊がありますが、
僕は、何かの宗教を盲目的に信仰してはいません。
古神道・山岳信仰はベースにありますし、
日本神道や仏教には小さいころから触れました。
ヒンドゥー教に近しいものを感じれば、
キリスト教やイスラム教も少しは勉強しています。
日本的多神教といえばそれまでですが、
結局のところ、神様というのは、
「絶対的な何か」に名前をつけたのだと考えます。
「何か」を感じることは出来ているんだけど、
その正体は分からない、だから思い想いの解釈で捉えた。
こんなものなんじゃないかと。
そして、その絶対的な何かに近づけるのが「感性」、
つまるところ、芸術や信仰なんじゃないでしょうか。
だから、毎日、
なるべく何かを創っていたいんです。
「それが、生きている根拠となるから。」
もちろん僕も、その辺の社会的動物ですので、
生きるために体を維持することも必要です。
パトロンの時代ではありませんから、
自分なりの形で働いていくことも必要です。
それでも、なるべく時間を割いて、
創作に集中できる状態でありたい。
今、僕は、そのために生きています。