寂しいときがある。
誰かに会いたい時。
誰でもいいわけじゃない。
特定の誰か。
そんな時、
「自我なんてない」
と思うと、
僕は救われる。
僕やみんなを形作っている、
ゲシュタルト性、
それから解放されて、
一つの素粒子のような、
同じものだと、
感じられる。
それは、
無に還るようなことであって、
でも、
虚無ではない。
己を縛っているものは、
自分が自分であるという、
意識だ。
捨て去ってしまえば、
人は、
自由になれる。
君はいないし、
僕もいない、
だから、
繋がっている。