【に】僕は最近何をしているのか

LR/sounds.Artででででででででです。

もう1ヶ月ぐらい、Youtubeとかアップしてない気がします。

どれぐらいアップしてないかは忘れたけどたまに申し訳程度にインスタとかアップしてるぐらいで、ツイッターも2週間ぐらいツイートしてない気がします。

何でそんなことになっているのか

というと、別に大したことはなくて。

【に】しんどさマシになってきただろうかとかの記事でも書いたけど、先月からずーっと「しんどいしんどい」が続いていて、多少は持ち直したけどまだダラダラとしんどさが続いているというだけの話です。

いかにも無意味っぽそうなことをやりながら、申し訳程度に食い扶持を稼ぎ、昔よく聞いてた音楽とパナマのコオロギの鳴き声を交互に聞いて、家から出ず、米とレトルトと完全栄養食とサプリを食べて生きています。

強いて言えば、昔よりちょっとやばいなって思ってるのは

プチ幻覚?が見える時がある

ことです。

幻覚と言っても目の前のものがありありと何か恐ろしいものに変わるのではなくて、周辺視野で黒い虫(Gのようなもの)や人間の影がパッと見えて、驚いてそちらを見ると何もない、ということがたまにあるようになりました。

今まではごく稀にそういうことがあっても『形』がしっかり見えることはなくて、「あれ、なんか今走った?」ぐらいの感じだったんですが、最近は割とはっきり見えて頻度も上がっています。

こういうので『周辺視野 黒い虫』とかで調べるともれなく飛蚊症のサイトが出てくるんですけど、僕は幼稚園からの天然飛蚊症erなので分かります。全く別のものです。

8月は近年稀に見るメンタルのヤバさだったので「いよいよこっちに足を踏み入れてしまったか」なんて思わぬでもないんですけど、でもなんでしょう、

メンタルのヤバさって本当の自分でありたい願望

なのかもって思ったりもします。

本当の自分でありたい、でも外の世界と喧嘩しちゃう、折り合いがつかない、あ、ヘンな形で出てきちゃったよ。みたいな。

かくいう僕も、これはコロナによる偶然でもあるんですけど

人と会う回数がめっぽう減って

『本当の自分はどう在りたいか』について、より純粋に見つめる機会が増えました。

幸せと一緒で本当の自分の明確な形なんて見つかるはずもないんですけど……

でもきっと「こう在りたい」というのは心の何処かにあって、それが現実とミスマッチを起こしているから苦しんでいるんだろうなって感じはします。

期待心なんて無くなりゃいいんです。

何かこうならないかなとか、誰かにこうなってほしいとか、そんなのは叶いっこないんです。

人は人、自分は自分で、来る者は拒みたきゃ拒めばいいし去る者は追わないようにして。人間だけじゃなくて物事も一緒です。

どうせ誰も何も助けてくれなければ、助けるべき本当の自分なんてものも無いし。

じゃあ大切なのは、きっと本当の自分の在り方ではなくて

何をするか

ってことなんだろうなあとも思います。

『本当の自分は』何をするか。

在り方でも幸せでもなく行動が大事というか、在り方や幸せと行動は全く別物なんだろうなとか。

そういう目で今を振り返ってみると

何もしていない

が完全なる現状で、むしろ「なんか限りなく無意味なことをしたいなあ」みたいな感じでダラダラしているような節さえあります。

単純に言えば疲れてるのかもしれないけど、疲れてダラダラして無意味なことして、何も未来っぽいことをせずに『やりたいこと』すらせずにこうやって過ごしていることが心地良く感じることもあって、

「人生がシンプルになるなあ」

って思ったりもします。

だって、本当に何もしていないんです。

冒頭に書いたように、申し訳程度に食い扶持を稼ぎ、昔よく聞いてた音楽とパナマのコオロギの鳴き声を交互に聞いて、家から出ず、米とレトルトと完全栄養食とサプリを食べて生きています。

スマホで漫画読んだりゲームとかしちゃったりして、ずっとベッドの上に寝転がってて、部屋もくっちゃくちゃで過ごしてる。

音楽どころか、負担の軽いブログすら、一度書いてみようとして3000文字ぐらいは書いてみたけど全然まとまらなくて、5日放置して、やっともう一回書く気になってこうやって書いているぐらいです。

そうやって生きていると、

・ダラダラ娯楽をやる
・娯楽のために食い扶持を稼ぐ

ってそれだけの思考になっていって、もっと言えば

・人としゃべる時はLINEする
・何か吐き出したければブログに書く

たったこれだけで、他の難しいこと何も考えなくていいんです。

「ああ、人生ってなんて楽なんでしょう!」

前の自分なら、

「そんな人生はクズだ」

って思ってたはずです。

そんな人生は僕の人生じゃなくて、これをやりたい、あれをやりたい、これをやらなければならない、こう在りたい、こう生きたい、こうじゃなきゃダメだ、とか。

そういうのから偶然にも解き放たれてダラダラし続けて見えてきたのは、ただただダラけていたいし、自宅で全てを完結したいし、誰にも何にも期待しなくて、

「いいよ、一人でいるよ。だから近寄ってこないで。傷つくから。一人でいる方が安心だもん」

って言ってる自分なんだろうなあって思います。

きっとそれは強がりで、

「寂しい、本当は仲良くしたい、楽しく生きたい、でも無理でしょ、色々試したじゃん、この先はないんだよ、もう無理だよ、誰もわかってくれないじゃん」

ってのが本音なんだろうなとも思う。

どっちに寄って生きるかというのは分からないけれど、

でも一つ言えるのは

「素晴らしい音楽を創りたい、そのために究極の孤独の中で、発狂するように内面を見つめる必要がある。だから僕には孤独が絶対的に必要だ」

って

を、もうつかなくて済むということです。

音楽のために孤独である必要?

ばかじゃないですか。

成功のために孤独が必要?

ばかじゃないですか。

単に一人でいたいから、その方が怖くないから、一人でいるんです。

それを偽って音楽がどうとか言っちゃうのはキリストで金儲けしようとしてる人たちと一緒で、音楽への侮辱だし本当の自分への侮辱だったんだなと気づきました。

自分の本心と、本心を満たすのが難しいから出来てしまったイビツな殻と。

今後どういう生き方をしていくんだろうなあと思います。

でもどうせなら突き詰めてやろう。喉首に爪を立てよう。

LR/sounds.Artでした、おやすみなさい。

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