【ぼ】「私の目が黄色いのは、醜い人間をたくさん見てきたから。」

LR/sounds.Artでででででです。

最近ずーっとしんどいしんどい言い続けてるからか、

あまり生きる力がありません。

元気だ元気だって言ってれば元気が出るかと言われたらそんなこともなくて逆にミスマッチで壊れるので素直にしんどいしんどい言ってるけど、しんどいものはしんどいのです。

そうやってボーッとして、暗い部屋でゴロンとなって壁を見ていたりすると色んな感情が出てきます。

・怒り
・裏切りの思い出
・悲しみ
・惨めさ
・自分への攻撃

とかいろいろいろ。

僕は元々相当に苛烈なところがあるようで、(攻撃されない限り)外部には攻撃しないけど、内部への攻撃がめちゃくちゃキツかったりします。

内部って何かというともちろん心のことで、自然とそういう攻撃を心に加えてしまいます。いわば精神的リスカみたいなものです。

そういう悪癖も昔よりだいぶマシになったと思っていたけれどそんなことは無かったようで、ただ無意識的にやってて気づかなくなってただけみたいなところがあって、すごく「しんどいしんどい」が続いて直面するマンホールの下にある下水道の醜さに辟易しています。

それはさておき、なんかボーッと壁を眺めていると、

小学2年生ぐらいの頃母に言われた言葉

がふっと思い出されるわけです。

自分の目は白いのに、母の眼はちょっと黄色い。

それは何でと聞いてみたら、母は指で目を広げてじっとこちらを見て言います。

「私の目が黄色いのは、醜い人間をたくさん見てきたから。」

と。

その時は何とも言えない反応出来ない気持ちでモヤモヤしながらも「そういうものなのかな」と思ったんですけど、高校生ぐらいの頃には「それはあなたの色眼鏡が醜いからでしょう」とどこかで思っていました。

そんな

色眼鏡を僕もかけつつあります。

これはすごく残念なことです。

忌み嫌っていたそういう色眼鏡なのに、いや忌み嫌っていたからこそきっと掛けてしまっているのかも。

【に】僕は最近何をしているのかという記事でもちょっと書いたけど、

「誰も助けてくれない」
「誰も分かってくれない」

これはずーっとあるし一定の真実があると思います。

でも一方でただの視点の違いとか期待心依存心のために起こっている側面もあると思います。

「僕は人間が嫌いだ」

というのはちょうど同じ小学2年生ぐらいの時に思ってたんですけど、それは身近な人じゃなくて人類ってものが嫌いでした。

何で嫌いだったかというと、父親に「世の中のため、人のために働きなさい」と言われ続ける度に「自然はどうなの」って思ってたからです。

いつも人間人間と言うけれど、植物とか虫とかに可哀想なことを人間はたくさんしてる。みんな人間の役に立て社会の役に立てとか言うけど自然の役に立てって人は本当に少ない。これはおかしいんじゃないか。

みたいな感じです。

まあある種の反抗期だったのかもしれないんですけどそんなことをどこかで思っていて、とりあえずその時はその時で人間が嫌いでした。

もう一度書くけど、身近な人は好きだった。

でも今はどうかと言えば、いつもやり取りしてるごく一部の人を除いて、

ほとんどの人とあんまり関わりたくない

って想いが強いです。

もちろん、それはその人たちが悪いんじゃ決してなくて、

人と関わると心がざわざわするから

です。その心の動きが耐えられない。

それでさっきの色眼鏡の話に戻るけど、それも一歩間違えれば『醜い色眼鏡』になっちゃうんです。

『人と関わると心がざわざわする→なるべく関わりたくない→関わらない理由を作る→周囲の人間は醜い→関わってはいけない存在だ』

こんな色眼鏡です。関わらない理由のあたりから無意識的に作られていきます。

こうなってしまうとどんどん『醜い色眼鏡』学習が強化されていって、もう抜け出せません。

めんどくさいから人と関わらなくなる。でも寂しいから自分を認めてもらいたいだけのためにおせっかいになる。人のお世話を進んでする。

それで期待通りに行かず「裏切られた」と思って……

安心する。

『自分は今まで裏切られてきた。裏切られる自分がいつもの自分だ。』

そういう心理が働いて、裏切られる(と感じる)方に人との関わりを誘導します。無間地獄です。

だから

自分の心のざわざわと、裏切られたという評価と、評価に対する反応は全く別

にしておきたいんですけど、どうも一体化してしまうとカッとなって自分への精神的攻撃に陥ってしまっているのかなあと思ったりもします。

いわば心の拒食症みたいなもので、自罰的行為をやってしまっているのです。よろしくない。

でも一つだけ救いかなあと思うのは、

怒ってる時と悲しい時が一番創造出来る

ということです。

ぼーっと無意味なことをしている時もあるけど、そういうネガティブな時の方がずっと音楽を作れたり外に出したいと思ったりする。(似たようなこと前も書いたかな)

このブログ文章も、イライラとか悲しさとかあったから書くことが出来てます。

とにかくあまり溜め込みすぎないように小さなブログでもいいから書いて、少しずつ発散出来たらいいなと思いました。

それで僕の心の記録とか分析が、何かしらの役に立ったらそれはそれで嬉しいです。

LR/sounds.Artでした、おやすみなさい。

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