【に】もう音楽以外、何もいらないや。音楽に殺されるなら本望だわ。みたいな話

LR/sounds.Artでででででででです。

ついさっきの記事で

昨年11月から非常にプライベートでいろいろあって(逆にここはオフィシャルなのか?)、バタついていたわけなんですが、いろいろ捨てるものは捨て、受け入れることは受け入れ、今に至るわけであります。

って書いたんですが、まあそんな感じで本当にいろいろありました。11月からってもう5ヶ月ぐらい経つんだね。時の流れ早いね。

それで、いろいろ捨てて、受け入れて、今やっと現実的な変化の時期を迎えています。

さっき11月って書いたけど

去年8月からマジでだるかった

って時期があって、環境的にはすごく安定していたのに気持ち的にはすごく苦しかった、みたいな時期が長かったんです。

自分を見つめ直して「僕って何なんだろう」ってことをずーっと考えていた時期があって。

その人生で一二を争うぐらいだるいモードの時期のまま『バタつき』もやってきてしまって。

だから気持ち的にはもう8ヶ月「常にうつでしょ」みたいな状況で過ごして、やっと変化の時期がやってきたなって感じです。

もちろんその変化が落ち着くまで、たぶんあと3ヶ月ぐらいは大変な時期が続くかもしれません。だからだるいんだけど、やっと終わりが見えて来たなあという感じです。

それでそんな旅路を経て今素直に思うのは、

「もう音楽以外、何もいらないや。」

という気持ちです。他のものは何もかも捨ててもいい。

それで、仮に現実的に成り立たなくなって野垂れ死んでしまう未来が待っている可能性だってあるけれど、

「音楽に殺されるなら本望だわ。」

という気持ちもあるんです。

音楽に殺される、というより「音楽(への執着)に殺されるなら本望だわ。」ということです。

なんかこれって最初の最初の頃の気持ちで、ソロでループライブとかしてた時の気持ちに非常に近いんですけど、結局めぐりめぐってここに来るんだなあと。

「最初からそれだけやっておけば良かったな」という想いは決してゼロではないんですけど、でも当時は「これが僕の本心なんだ」というのを言語化して認識出来ていなかったんですね。

なんかすごく若い、それこそティーンエイジャー的な頃って、

『よく分からないけど突き動かされたもの』にすごくピュアな時期

なのかなって。

言語化できずに感覚で従って行動してしまうから、よくも悪くも操られてしまって、それが本当の答えだと分かっていても信じ切れないというか「まだ先がある」って思ってしまいがちです。

でもそうじゃなくて、たぶんその答えはすごくピュアだからそれ以上って無いんです。そのことを確信するのに何年かかっちゃったんだか。

でもその遠回りは本当に、感覚でも、理性でも納得するために必要な時間だった。

ティーンエイジャーの答えが魂の答え
遠回りは精神と肉体が納得するための時間

それが一致して初めて本当に確信できるのかなあ、なんて思ったりするんです。自分に正直になっていく。

それで、きっと

「一度全力で確信したら、それに向かって行動すべき」

という想いもあって、それが使命感というか天命みたいなものなんだろうなあと思ったりもします。あんまり『べき』は使いたくないんだけど、それが責務のような感じもするんですよね。

もしかしたらこの文章だって、自分で自分を勇気づけるために書いている面もあるのかもしれないけど、それでもこの確信は本当なんだろうなって。

だって

「もう無理」

だもん。

やりたくないことやりたくない。やりたくないことは何もかもやりたくないです笑

「何がやりたくないんだろう、何がそんなに嫌なんだろう」ってのも一度掘り下げてみたいんですが、また長くなるのでそれは別記事にしておきます。

飛び出せばなんとかなります。なにごとも。

LR/sounds.Artでででででした。おやすみなさい。

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