【の】日本の政治について思ふこと

LR/sounds.Artでででです。

昨日、【に】コロナウイルスに思ふことって記事を書きました。

それでコロナウイルス絡みで政治関係の話題がだいぶ増えてきてるので、その勢いで?僕が政治について思ってることもちょこっとだけ書いてみようと思います。

一応、僕はあんまりリアルな政治的なことはブログやSNSで言わないようにしています。

理由は簡単で、

敵味方分かれて音楽聞くときの障害になるから

です。

音楽つくる人に限らず別に政治的発信するのはいいと思うし自由に発言できる社会になれば嬉しいなとは思ってます。

一方で今の日本の政治に対する意見とか反応を見ると、どれだけ曲が良くても「この人は変に攻撃的で心にトゲが出来ちゃうからもうミュートしよ」みたいになっちゃうんですね。(攻撃的に発信すること自体がおかしいのですが)

とりあえず僕にとっては音楽が一番だから、音楽で好かれるのも嫌われるのも別にいいけど、他のことでわざわざ嫌われる理由作る必要ないよねっていう点で作る側として気をつけたいなーと思い発言を控えています。

でもそういうの踏まえた上で、とりあえず今回だけは書いてみようかなと思うんですが、僕が一番日本の政治に対して思っているのは、

全然議会制民主主義できてないじゃん

ってところです。

独裁政権・日本破壊とかそういう話ではなくて、そもそも

「政治」と「議論」本当に出来てる?

ってところが疑問なんですよね。

これは僕の中でほんとに意味わかんない状況だと思ってるというか、まだまだ民主主義が浸透していないんだなって感じがしています。

まず1つ目、

「政治出来てる?」についてですが、

政治って何っていえば、それは『国を運営すること』ですよね。国家って集団があって、その国家をどうやったらより良い方向に導けるだろうって考えて行動するのが政治です。根本的には町内会の延長線上です。

それで数ある政治形態の中に民主主義とか独裁制とか君主制とか共産主義があって、その中で日本は議会制民主主義って形態をとってるわけですね。

それで間接民主制なので、選挙して国民が議員さんに投票して、議員という国民の代表者が国会につどってあれこれ言い合って法律とか政策を決めながら、国をより良い方向に行くよう動かしていくのが本来の姿です。

どんな政治形態であっても、

政治=国をより良い方向に導くのが最終目的

であって、本来そこを外してはいけないんです。

もう少し踏み込んで話すと、国会で議論される”政策”は『国をより良い方向に導くための具体的手段』であって、その手段の方向性の違い=保守・リベラルと言うことです。

右寄りの政策・左寄りの政策いろいろあるけど、向いている方向は違っても全ては『日本をよくするため』の建設的意見であるべきなんですね。

整理すれば、

・最終目的=日本をよくする
・形態=議会制民主主義
・具体的手段=政策(保守リベラル問わず)

です。

右も左も国を良くするために存在しているのが、国家が作り上げてきた政治という仕組みの本来の姿なんです。

それなのに現実はどうかと言えば、

「反発がかっこいい」「若者は反発せよ」「政権批判が職責」

なんて言っちゃう政治家がいます。

ただ反発することを良しとしてる政治家が圧倒的に多いしそれが普通になっちゃってます。

でもそれはリベラルではないです。なぜなら民主主義の根幹たる建設的議論が出来ていないからです。学生闘争の時に満たされなかった青春時代を国会で取り戻そうとしないでほしい。

また、支持基盤の利益のためだけに動いている政治家もいっぱいいます。もう一度書くけど国と日本国民全体を豊かにするための建設的議論をしてほしい。

「ほんとに民主主義やってるの?」って感じです。

だから特に左寄りの人に対して言いたいけど、もし何かを変えたいなら反発者vs政権の構図じゃなくて、国民vs政治家の構図にしないと意味ないですよ。

人間は感情に弱いので感情的パフォーマンスもまだ一定の効果はあげますが、教育が進めば進むほど思考能力上がって意味なさなくなります。ちゃんと政策論議しないとこれからの世代には響かないです。

……とちょっと話がそれたけど、とりあえず「今の政治ってあんまり政治できてないよなー」って思ってるんですね。

それで2つ目、

「議論出来てる?」についてですが、

そもそも民主主義って西洋の制度なので、基本的には西洋のフォーマットにのっとらなきゃ上手く機能しません。

じゃあ民主主義の根幹にあるのは何?って言えばそれは『議論』であって、『ディベート』に近い論理的なやり方が必須なんですね。

・前提と目的を共有する
・根拠を元に解釈し主張する
・根拠や解釈や主張のおかしさを指摘して反論する

これが出来てないとただの言葉の殴り合いで感情の扇動し合いバトルになっちゃいます。でもそういう政治家がすごく多いのが今の国会じゃないでしょうか。

野次とか感情的パフォーマンスは扇動手法としてはありますが”政治手法”じゃないです。だから排除していかなければいけないです。

もしそういうおかしなものを”文化”と言うなら彼らは現代の民主主義政治家ではありません。民主主義の根幹である議論を出来ていないのであればただの扇動屋さんじゃんって思います。

でも多くの扇動屋さんが集まっていて、しかも本人たちもどう変えていいか分からないぐらい文化として根づいちゃってるのが現実なのかなと思います。(積み上げられた文化とかシステムって個人で変えるのはめちゃ困難です。)

だからもう一度書くけれども、

国民vs政治家

って構図にしないと、何も変わってこないと思います。

もちろん暴力革命ではないから急激に何かが変わるということはないかもしれないけど。

教育の時点でディベート的な論理的思考能力を育てていって、20年後ぐらいには良い状況になっているのを祈りたいと思うし、僕にできることがあればやっていきたいなと、この記事を書いていて改めて思いました。

政治系の話はこれでしばらく控えます。

LR/sounds.Artででした、おやすみなさい。

余談:
ちなみに日本に民主主義が適しているかと言えば、今の状況を見ればまだまだ根づいてないので今は過渡期だと思っているし他の在り方もありうるのかもしれません。

例えば今の時代は国家って在り方自体に矛盾が生じ始めていて、GAFAのような世界的企業が多くの国家よりも力を持っていて日本クラスにも喧嘩を売れるようになってきたのもその表れかなって思っています。

つまりは純粋な資本主義(お金第一主義)やグローバリズムや人権意識の成長にしたがって、いずれ国境がなくなる時代も来るのかなあなんて感じています。

そうなった時、ダムの壁が崩れるみたいに豊かな国の富が貧しい国にどんどん流れて富の水位が平均化していくのかもしれません。(ごくわずかな超お金持ちを除いて)

一応、民主主義的建前では『国民主権』となっていますが、国家に定義されるという意味では結局政治は国の制度であって国家ファーストです。

でも労働義務すら「国に定義(強制)されるのっておかしいよね」みたいな時代になっていくと思うので、国家ファーストでの政治というのもいずれ終わっていくのかなあと思いました。

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