【の】『反出生主義』に思うこと

LR/sounds.Artででででです。

今日偶然ですが

反出生主義に関するニュース記事

を読みました。

反出生主義というのは簡単に言えば「この世は苦しみがいっぱい、その苦しみを避けるためには産まないのが合理的に考えて一番。産むことは犯罪に等しい。人類はゆっくり滅亡すべき。」のような思想です。

古くはブッダの言葉とかマニ教とか、哲学ではショーペンハウアーなどにそんな思想が見られるそうです。

最近だとSNSで反出生主義をプロフィールに書いている方も見ます。(これは思想というより現実うぜえの現れに見えます)

立場によって細かい部分は違うみたいです。

僕も個人的には子どもはいらないけれど、他の人が産むのは自由と思っているので、反出生主義とは相容れないし特に惹かれるところはありません。

ただこの記事に書いてあったことで気になったのは、賛成派も中立派も

子供を産むのは100%親のエゴ

って意見があったことです。

賛成派
「100%親のエゴだから産むべきではない。苦しみを味わわせてはいけない。」

中立派
「100%親のエゴなのは分かった上で産みたい。苦しみのない社会を作る方向で解釈すべき。」

という感じです。

僕がこの意見で「???」となってしまったのは、

「子供を産むのを親(人間)が100%コントロールできると思っているのかな?」

という部分でした。

人間の能力過信してない?ってことです。

例えば「お風呂で間違えてシャンプーで洗顔しちゃった」って経験がある人って多いと思います。(ボディソープで髪を洗おうとしたとかでも)

それって無意識のバグによって起こるんですが、『無意識で動いている場面(無意識に支配されている場面)』ってめちゃくちゃ多いんです。

最初は地図見て歩いていた道もいつの間にか歩きスマホしながら前を見なくても歩けるようになっちゃったり、一生懸命乗っていた車も気がつけばテレビ見ながら走れるようになっちゃったり。(どっちも危ないけど)

これは長期的に見れば『なんか惹かれちゃう仕事』をして10年後に「なんであの時あんな選択したんだろうなー」って振り返ってしまうとかもそうです。

それなりに理由があったとしても、『なんか惹かれちゃう』が先で、意識的な理由は後付けだったりするんです。

同じように、

誰と出会って
なぜ惹かれて
いつ結婚して
どのように子供を産もうと思って
いつ子供を授かったか

なんて、コントロール出来るようで、

本当に意識でコントロール出来ている部分はめちゃくちゃ少ない

んじゃないかなって思います。

神秘的な言い方をすれば、何か運命的なものに突き動かされている、みたいな。

だから『子供を産むことは100%エゴ』という部分に、めちゃくちゃ違和感を感じてしまうんですよね。そこに至るプロセスって無意識の産物だから。

産むをコントロール出来るって前提に立っているところが、すごく西洋的というか、人間の万能性への憧れを感じてしまいます。押しの強さで言えば共産主義革命を夢見るとかと似てるような。

【の】”真理探求欲”の真実という記事で『100%確実なものはこの世に一切無い』と書いたけれど、あらゆるものが意識でコントロール出来ることではないからこそ、

すべての責務をその人(この場合は親)に負わせるのは厳しい

んじゃないかなと思います。

これは子供あるあるだと思うんですが『親=完璧な存在』だと思っていることがあって、親が間違えると「親のくせに!」となってしまう。

でも親が自分を産んだ年齢や自分が10歳の頃の年齢とかに実際になってみると全然完璧じゃなくて、むしろ『子供の延長線上で半人前のままガムシャラにやっている』みたいなことって多いと思うんです。

僕も家庭環境はよろしくなかったので当時の親は嫌っていますが、一方でいろいろあって仕方なかったとも思うし、自分なりによく頑張っていたんだろうなというのは感じます。

そういう柔軟性を反出生主義に当てはめてみると、合理的に一理はあれど、他者に強制したり、積極的に広める思想ではないんだろうなとか。

なので”反出生主義”に出会って共感したなら一度書籍や古典を読んで、その上で「僕は子供いらないかなあ」ぐらいのスタンスで、個人個人でゆるーくやっていくのが良いかなあと思います。

ちなみに僕が子供いらないなあと思うのは『自分の面倒で精一杯だから』で、特に思想的なところではないです。(そんな僕でも無意識パワーで気がつけば子供いるかもしれませんが)

LR/sounds.Artででした、おやすみなさい。

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