【の】緊急事態宣言のあれこれで『お金>命の構図』が明確になったなあ

LR/sounds.Artでででです。

引き続きちょっと時事的に考えていることの話なんですけど、最近のコロナ騒動で明確になってきたのは

お金>命の構図

です。

「なんで早く緊急事態宣言出さないんだろう」って話ですね。

これについては僕は

緊急事態宣言出すと経済的損失がでかすぎる

ので、決断に戸惑っているのが本当のところかなと思います。

例えば、最近どこかで見た記事で『イベント自粛の経済的損失が1750億円』というのを見ました。

これは国のサイズ感(GDP550兆円)で見れば「そこまで大きなインパクトじゃないのかな?」と僕は感じました。(出演者ではなく経済の視点で見てです)

対してロックダウン(首都封鎖)は損失5兆円以上、日本全体に緊急事態宣言が出れば10兆円以上が失われて、それが呼び水となってさらに損失がでかくなるのを恐れているんじゃないかなと思います。

つまり政府の視点は

あくまで経済合理性に従う

のであって、

1.大損失を出してでも今すぐ宣言を出し予防をする
2.宣言出す方が損失が少ないギリギリのタイミングまで待ち宣言する

のなら、2を選ぶということです。(待つことでどれだけの人が感染しても)

ちなみに経済合理性は以前【の】イベントが自粛で電車が止まらない理由という記事で少し掘り下げましたが、具体的にはこういう感じです。

(例えば某海外有名自動車会社は、死亡事故が起きるレベルの車の不具合を隠していました。これは死亡事故による賠償金の総額よりも、リコールの方が総コストがかかると試算されたので、リコールせずに不具合をそのままにしてたって話みたいです。ひどい話ですが、資本主義にはそういう側面があります……)

死亡事故の賠償金よりリコールのが高くつくよね、じゃあリコールせず賠償金を払い続けよう(人が死んでもOK)、みたいな考え方ですね。

なのでざっくり言えば『お金>命』の構図になっていて、政府もそういう視点で判断しているということですね。

でもだからと言って

政府を責めるのはちょっと難しい

という側面があると思っていて、それには2つ理由があります。

1つ目の理由は日本は資本主義国家だから

です。

特に現代の金融資本主義が大きなパワーを持っている時代だとどうしても経済合理性に従わざるを得ないというか、そうしないと世界と戦っていけないという面があります。

僕個人の感情としては「さっさと緊急事態宣言出して」なんですけど、政府の立場としてはあくまで『現代資本主義の原則(経済合理性)に従って運用している』だけなので、運用のマズさが出る時はあれど責めきれない部分があります。

(その原則=資本主義にしても、そういう視点で政治をすることでなるべく多くの人数の人を幸せに生き残らせることが出来る、ということで採用され生き残ってきたシステムです。)

逆にその原則から逸脱してしまうことが出来るのならそれこそ独裁政権であって、それを行える状態にないということは正常に民主主義が機能しているのだろうなとも思います。

2つ目の理由は足を引っ張る人々が多すぎるから

です。

今回政府の行動が遅いとされていますが、僕は政府の行動が遅いのではなく周囲に足を引っ張る人々が多すぎるのではないかなと考えています。

国外国内の周囲のいろんな権力・影響力・しがらみとかの調整を挟まざるを得ない立場で、なんとか舵取りしなければいけない状況。

右といえば左にしろと言われ、左にしろといえば右にしろと言われて、でも時間も迫ってきているし……みたいな状況を国家のサイズ感でやられたらほとんどの人は耐えきれないです。

そういった中で何とか耐えて1つの原則に従って行動できているのはすごく評価できると思うし、状況コントロールしているのは

・現政府はそれなりにしっかりした力を持っている
・ただ政府自体の力は思っているより非常に弱い(周りが強すぎ)

ということを示唆しているのかなと感じました。

(そういった周囲の力と戦わないことを選択してるとも言えるんですが)

一応これらの理由から僕は『現政府を責めることはできないなあ』と思っています。

でも一方で、

「『お金>命』はもうやめようよ」

とも考えています。

経済合理性主体の価値判断はやめて人間主体で行こうよということです。

それは具体的に言えば、

・「経済成長しなければならない」をやめる
・緊急事態には躊躇なく『命』をとる
・過剰なグローバリズムから脱却する

といったことであって、お金にコントロールされない人間性を獲得できる社会を創りたいなあと思っています。

ただこれは個人レベルならある程度可能(社会から距離を置く等)ですが、

社会レベルとなると難しい

です。

例えば会社レベルだと、安定だけを目指すと衰退していくので成長を目指さなければならないし、周りはみんな成長を目指していてシェア奪われて没落とかも全然ありうるからですね。

それが自国・他国間で起こるなら日本も結局経済成長を目指さなければならない……

逆に思い切ってグローバリズムから脱却すれば、アメリカは守ってくれなくなるわエネルギーから食べ物まで多くのものを自分の国で賄わなければいけなくなるわで、世界の風潮と逆のことをやるってめちゃ難しいんだろうなって思います。

そういう意味では日本型社会主義時代はある意味よくできていて、僕は自由の味を知ってしまったからその時代には行きたくないけれど、よく国が治まっていたんだろうなあって思いました。

でもちょっとずつ

考えて創っていくことは決してムダにはならない

し、幸い世界もゆるやかなグローバリズムに移行していくと思いますので、これからはそういう新しい生き方を目指していくのが時代に沿っていくのかなと思います。

少なくとも僕は日本という国に好きなところはいっぱいあるし、自分も最大限自由でありたいけれど、一方でみんなも最大限自由だったり幸せだったりでいてほしいです。

そういう国や社会の在り方を模索していきたいといつも感じています。

じゃあどうやって模索すればいいの?って言えば、それは……と書こうと思ったけど、ちょっと話題がそれるのでまた書こうと思います。

なんとか生き延びていきましょう。

LR/sounds.Artでした、おやすみなさい。

スポンサーリンク