LR/sounds.Artででででです。
今日も寝起きに半分瞑想しながら、いろいろと思考を観察していました。
今日のテーマは、
「なぜ寂しくなるのか?」
でした。
最近、寂しいに関連することを、一度前提に立ち戻っていろいろ考えたりしています。
特に後者の結婚については僕は「結婚したくないなー」なんて思ってたんですけど、ここ数日けっこうはっきりしてきたのは
「実は割と結婚したいのかもしれない」
ってことに気づいて、要はいつもの天邪鬼で真逆の「結婚したくない」を考えてた自分を遂に認めました……。
でもなんで結婚したいのだろうと考えると、それはやっぱり寂しいからという思いが強いわけなんですが、そこでもう1段階進めて
「なぜ寂しくなるんだろう」
が今日のテーマになったわけです。
(寂しくならなければ一生安泰!独居老人!)
さっきもリンクを貼った【い】『孤独感』を考えるという記事で『孤独は脳の反応』ということを書いたんですけど、今回は別の方向で考えてみています。
それで、なぜ寂しくなるのかを考えた時、
2つの理由
が浮かんできました。
1.『わたしの世界』と過去の経験を比べるから
2.『わたしの世界』だけに生きると覚悟するから
まず前提として、僕は
自分の世界がめちゃくちゃ強い
です。
自分の世界っていうのは例えば、
・音楽、歌、ギターをやる
・詩、絵、霊符をつくる
・良い部屋の環境
・お気に入りの最小限の服
・似た食事のルーティン
・浄水器で作った水出しお茶
・毎日の約30個の習慣
こんな風にやりたいことを決めて、「それ以外の余分なことを一切やらないって決めることです。
そうやって『わたしの世界』の境界線をしっかり引く(引きたがる)という性格が僕にはあります。
その上で、寂しくなる理由の1つ目
1.『わたしの世界』と過去の経験を比べるから
例えば、境界線はっきりの生き方をしていて、たまに外にご飯を食べに行くじゃないですか。
するとワイワイみんなで集まってる飲み会帰りの学生さんがいたとして。
「自分も昔あんなことやってたなあ」
「もう一度、みんなでワイワイ飲みたいなあ」
って思うと、そこに寂しさが生まれます。
でも寂しいからじゃあみんなで飲もうじゃなくて、『わたしの世界』があるからなかなかそちら側に行けない。
そんな葛藤が寂しさを大きくするのかなあと思いました。
理由の2つ目も少し関連しますが、
2.『わたしの世界』だけに生きると覚悟するから
「ここだけに生きる」と決めたら、それ以外のことは捨てていかねばならないです。
こないだ書いた【い】「24時間音楽する」は本当に僕の夢か?もそうですが、ここに邁進すると決めたらもう進んでいかなければならない。
逆に言えば、それ以外は捨ててしまうということです。
それが3ヶ月とか6ヶ月ならデトックスみたいでいいんですけど、人生の課題とかなら今後30年です。
今後30年、これだけをやって、あとのものは全て捨てる。
その覚悟ってめちゃくちゃ寂しいよなあなんて思ったりするんですね。
なので、
境界線をはっきり引くと寂しさを引き起こす
のかなあなんて思いました。
でもこれってたぶん30年後には『わたしの世界』の外側についてはすっかり記憶ごと消し飛んでいて、完全に自分の世界に没入しているんだろうなあって感じもします。
なんか小学生の頃にハマッてた遊びとか日常生活で思い出すことってほとんどないと思いますが、そんな感じで外の世界のことも忘れてしまうのかなあとか。
何かをこうやってブログに書いたりSNSに書いたりしてれば周囲の様子も目に入るので完全に忘れることってないのかもしれませんが、なんか上手く折り合いをつけてやっていけたらなあなんて思いました。
LR/sounds.Artででした、おやすみなさい。