【い】「24時間音楽する」は本当に僕の夢か?

LR/sounds.Artでででです。

さっきぼーっと瞑想しながら思考観察してたんですけど、今日のテーマは

「24時間音楽する」は本当に僕の夢か?

でした。

僕は昔から『24時間音楽できる環境を作る』をひとつの目標に掲げていて、ここ数ヶ月でやっと、場所的にも時間的にもそんな環境を作ることが出来てきました。

まあ完全に24時間では全然ないしもっと広い場所がほしいとか欲みたいなものもあるんですけど、

・起きている時間はほとんど瞑想音源をかけている
・演奏や創作に集中するための習慣化の取り組み
・音を出せたり創作しやすい部屋の整備

なども、コツコツ進めています。

ただこうやって叶えられつつある目標の中に入り込むと、

次の目標を立てる必要性

が出てくるわけです。

やっぱり推進力とか方向性とか目的地って大事なんですね。

そんなことを考えながら24時間音楽環境を進めつつあるんですけど、いざ入ってみるとやっぱり疑問点とかが出てきます。

例えば

仮に完全に24時間音楽環境を達成したなら

ずーっと音楽作ったり音楽の中にいられるわけですが、きっと次にこう考えると思うんです。

「もっと評価されたい、わかってほしい」

たぶん24時間音楽環境の状況って、作品とか音楽瞑想とかで収入があってそれだけでとりあえず食べれている状況なのかなって思うんですが、

・もっと色んな人に聞いてほしい
・もっと世界レベルで評価されたい

なんて考えると思います。

きっとその根幹は、寂しいとか愛されたいとかの感情です。

でもその点で難しいのは『完全に自分のやりたい音楽にフォーカスしている』ってところであって。

やりたいものが世間的に非常にわかりづらいものであれば、たぶんそういった評価は望みづらいはずです。

じゃあ

なんで評価されたいと思うか

っていうと、それはたぶん創作する人ってのはそれが生存証明なんですね。

どういうことかというと、

「わたしは芸術家である」「わたしには芸術しかない」

って人がいたとして、作ったものが評価されなければ自分自身の全人格を否定されてしまう、そうすると生きてる意味ってない。

でも評価されやすいようなものをつくると、それはそれで『わたし』に合っていないので自分自身の人格が消え去ってしまう。

そんな自己矛盾を抱えながら「評価されたい」って思ってるのかなって思います。

そこは上手にバランス取って『そこそこやりたくて、そこそこわかってもらえそうなものを創ろう』なんて上手く生きていけたらいいんですけど、なにぶん

完璧主義的で作品に執着する

なんてことが起こり得ます。

バランスとか間って思考がどうにも許せないなんて感情が出てきてしまいます。

だから、バランスを取ろうとか評価されるものを作ろうとか、あとビジネスでよく言われる誰かに価値を与えるとか。

そういったバランス視点はどんどんなくなっていきそうだなと思ったりします。(たまには楽しそうなもの作ろうとかはあるかもしれないけど)

それできっと僕の場合も、今よりもっと24時間音楽環境に近づいたら確実にそっちに行くだろうななんて想いはどこかしらにあるので、

もし完璧主義で100%自分に忠実になったらどうするか?

ってのは考えておかなきゃなあって思ったりするわけです。

僕は30年後ぐらいに自分が大成してたら万歳だなーぐらいの長い目で見ているんですけど、一方で引きこもって作りたいものだけを一人でずーっと作り続ける人生もいかがなものなのだろうか?なんて思ったりします。

独居老人スタイルという本があるんですけど、


この本には一軒家で部屋が埋まるぐらいずーっと絵を書いてるおじさんが載ってます。

あとはすでに亡くなられてしまったのですが、首くくり栲象さんという方。家の庭先で20年以上、毎日首吊りパフォーマンスされてた方です。

ここで毎日やっていけるものはなにかと思ったときに、首つりだったら毎日やっていけると。ですから、それからずっと、毎日です。これ以外やってないですから。日課はこうなんです。4時に目覚ましかけて、起きる。で、庭に出る。足袋が4足あるんですね。1回の首つりで1足使う。で、1日に4回やるわけです。1回終わったら、コーヒー飲んだり本を読んだり眠ったり、というので最低2時間半くらい。それを午前中、もういちどやるとなったら、もういちどやって。午後もやって、夜もやって、それで導眠剤か、あまり飲みませんけれども焼酎飲んで眠って、という毎日です。首つりの頻度が高くなってきますとね、首つりってやっぱり負担がかかりますから、眠たくなるんですよ。最中ではなく、終わると。だからこたつに潜り込んで、寝てしまう。

roadsiders’ weekly [追悼・首くくり栲象]

この生活を20年以上続けていたとかすごいですよね。

僕も50歳越えてからこんな毎日になる可能性って十二分にあるわけで、

「本当にそれを求めているのか?」

ってのは考えなきゃいけないなあと。

もちろん作ったものは発表していくので何があるかわからないし、そもそも求める求めないではなく自然とそうなってしまうという類のものかとも思うんですけどね。

ただこないだ、【の】移住先を探そうって記事を書いたんですけど、今後の人生の在り方みたいなのを前以上に考えるようになったというか、そろそろ転機が近づいているなあなんて思ったりもします。

これについても難しさがあるなあなんて思うんですけど、経験上は

しっかり考える→一度忘れる

これをやっておくと後でふっと答えが見つかったり解決していたりするので、こつこつ考えながらまた前に進んでいこうと思いました。

LR/sounds.Artででした、おやすみなさい。

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