LR/sounds.Artででです。
ちょうど今(11/1午前2:21)、無性に辛いというか苦しいというか、悲しかったりします。
こういうのって定期的にあって、特に理由もないのに不安になったり落ち込んでしまったり、ダメだなと思ってしまったり。
別にダメでもいいやーって思う自分もいるんですけど、それはそれこれはこれって感じで落ちてしまうんですよね。
自分でもどうしていいかわからない
から、何か代替的なもの(お酒とか、薬とか、衝動的行動とか)でとりあえず見ないようにしてカバーするのかなあなんて思ったりもします。
一度落ちてしまうとついついやりすぎてしまうので注意はしてるんですが、しばらくは衝動と闘いながら自然回復を待つしかないです。
でもたまに思うのは、
こうやって苦しんでるのも自分だなあ
ってことです。
なんかだるいし辛いし抜け出したいけど、そこから抜け出してしまったら、自分が自分でなくなるような気がします。
前に【い】僕は音楽で何を伝えたいのかという記事で、「正しくない世界は広いしすごく自由だよ」みたいな話を書いたんですが、それと似た話で
不完全だからこそ人間
なんて思ったりもします。自分の不完全なところも認めていいんだよって。
これも前にどこかで触れたかもしれないけど、もし完璧なアンドロイドのようなものができたら、彼らは間違えません。
最短最速で最適な答えを弾き出して、すぐさま『正しい行動』を取るアンドロイドが3Dプリンタみたいな感じであちこちに生まれるんです。
そこまで行かなくても、
人間とコンピュータをつないだハイブリッド人間
が生まれたとして。
間違えそうなところを一切間違えず、記憶はコンピュータに保存されて、血管を流れるナノコンピュータが病気をすぐ排除してくれて、バイオテクノロジーで全然老いない見た目。
そうなった時に、ハイブリッド人間は、果たして人間と呼べるのでしょうか?
ハイブリッドじゃない、不完全で正しくなくて時に間違えてしまう旧型人間って、果たして人間と呼べるのでしょうか。
僕はどちらかといえば、
不完全な方が人間らしいよ
って思います。
だって、アンドロイドやハイブリッド人間はコピーペーストで増やせるから、きっとおんなじような完璧な人ばかりになるんだろうなって思うからです。
完璧な人だらけの世界で「わたしは人間なんだ、生きているんだ」って教えてくれるものは、不完全さのような気がしてなりません。
だから、ポジティブもネガティブもそのまま出していきたいし、出していいんだよって言いたいと思っています。
そんなこと考えながら、だるい時とかも不完全さをなるべく愛して生きていけたらなあって思います。
LR/sounds.Artででした、おやすみなさい。