LR/sounds.Artででです。
さっきお風呂入りながら考えてたんですけど、
「僕はなんになりたいのかなあ」
みたいなのがちょっと不明瞭だなって感じました。
夢とか目標とか行きたい場所とか、そういうところの話です。
人間って2つの生き方があります。
1つは、
夢目標を定めてそこに向かって進む生き方。
これは夢や目標をしっかり定めてそこに向かって頑張るぞって生き方で、いわば『未来基準の生き方』って言えるかもしれません。
それでもう1つは、
現在の幸せを大切にする生き方。
これはたぶんここ10年ぐらいで注目されはじめてるマインドフルネス的な生き方で、目の前の幸せを大切にしようって感じです。
どちらが優れているというわけではないんですが、思いっきり飛躍したいとか成長したいなら前者、苦しいとか不安感があってそれを楽にしたいなら後者が良いのかなーと思います。
(未来っていくつにも分岐してるので、未来基準で生きると新しい可能性に手を伸ばしやすい反面、悩み苦しんで考えたことが無駄にもなりやすいです。将棋の手の分岐とかで考えるとわかりやすいと思います。)
僕は長い間前者、ここ1〜2年は後者を意識して生きてきて、特にこのコロナ自粛でがっつり後者に取り組んでみてたんですね。
で、今までにないってぐらい精神的な安定と幸福感があって「現在基準の生き方は本当にいいなー」って思ってたんですけど、一方で
ちょっとふわっとしてるかも
みたいな感じがありました。
例えば僕のやりたいことというか抽象的すぎない夢って、
・MoMAで個展がしたい
・たくさんの人の前でライブしたい
・歴史に残る芸術家になりたい
とかそういうところなんですけど、現在の幸せに基準を当てるとそういうのって吹っ飛んでいくんですよね。
吹っ飛ぶというか、現在基準の生き方で何かしらの飛躍を目指す場合は
幸せやりつつシンクロニシティを待つ
みたいな引き寄せ的な生き方になってくるわけで、「それはそれでいいんだけどそれでいいのか?」みたいな気持ちになってきたりするわけです。
かといって未来基準で明確に目標を定めてしっかり計画立ててそれに向かってやるぞ!ってやろうとしてもやらないやれない、それなら原因としては
・やり方が合っていない(未来基準が肌に合わない)
・そもそも本当に望む夢ではない(潜在意識が望んでいない)
とかそのあたりが考えられるわけで、やっぱり現在基準で生きるしかないわけですけどそれだと幸福感は感じても納得感は得られない、この気持ちはなんなんだろうなーとか。
そもそも
幸せと夢は違う
みたいなことを誰かが言ってたような気もするけどそれも一理ある話で、じゃあなんのために夢を目指すんだとかその辺もちょっと疑問になってくるところで、でもよくよく考えてみれば
千日回峰行とか地獄でしかないよね
みたいなところもあって、それを乗り越えて見える何かみたいなものに価値(夢)を感じるから地獄に突っ込んでいくという側面もあるのであって、その意味では夢は悟りと似たようなものかなーとも思ったりします。
でも「やっぱり幸せでいたい」って言うのはたぶん
「苦しみたくない」
の裏返しであって、なるべく楽に生きていきたいからその表現として幸せを感じることを目標に置くのだろうなーとか思ったり。
じゃあその幸せを犠牲にして苦しんでまで夢に向かって突き進みたいかと言われたらなんかそれも違う気もするけれど
幸せを感じながらつくるものは正義
というか、まあこの場合の幸せは普通の幸福感以外にも「うわ今めっちゃ血流れてる幸せ」みたいなネガティブ幸福というかキツイけどマラソンしてるぜみたいなやりきった感もあるのであって。
そういう意味では、ただ幸せだな〜みたいなのは体を肥え太らせる要因になりかねないけど、創作×幸せというのを守る限りは、夢につながりつつも現在基準で幸せなんだろうなーって気がしました。
なんかとりあえず創作に集中できる環境をなるべく心がけていきたいです。
LR/sounds.Artでした、おやすみなさい。