【い】「本当にやりたいことの見つけ方」ってもしかして……な話。

LR/sounds.Artででででででででです。

こないだ手帳につらつら今考えてることとか悩みを書いてて気づいてしまったことがあります。

「本当にやりたいこと」の見つけ方について

です。

僕は昔から「やりたいことだけをやる人生」を追い求めてきました。

音楽がやりたいとか、寝たい時に寝て起きたい時に起きるとか、ずっと考えたり瞑想していたいとか、そんな人生を作りたいなーと思っていて。

生活上のこと(日常・仕事・お金)も含めてそういう方向への最適化をずっと考えて動いてきたんですけど、長いことやっていると、『やりたいことをやる』ではなくて、

『やりたくないことをやらない』

という方向性で進める方がいろいろ余白が出来て、クリエイティブなエネルギーを創作に使えるので良さそうだなと思えてきます。

僕の場合は、

・朝決まった時間に起きたくない(というか起きれない)
・横並びのデスクで座りたくない(視線が気になる)
・8時間以上も拘束されたくない
・電話応対したくない
・スーツを着たくない
・車の運転をしたくない

とかがやりたくないことで、今はそれらをほとんどやらなくていい状況です(といっても次のやりたくないことは出てくるものですが)。

ただ『本当にやりたいこと探し』にはもう一歩先があることに気がついて、それは

『人生で一番ドン底の時でもやれていたこと=やりたいこと』かも

ということでした。

正確にはやりたいことではなく『自然とやれてしまうこと』。無意識がやってしまう天性みたいなものです。

僕は今現在ドン底気味なんですが、人生でもうひとつドン底だった時があって、それは高校時代です。

特に17歳の時がひどくて本当に地獄のような日々だったんですけど、その時でもやれていたことってあったんですね。

例えば、

・何時間も散歩をする(3時間とか平気、6時間歩いた時も)
・思索をする(世界とか人生とか真理とか)
・詩を書く(ノートや携帯に書いてた)
・音楽を聞く(大好きな数枚を何百回も聞く)

こういうことはどんなにしんどくても出来ていて(逆にこれが癒やしだったんだと思う)、他のこと、例えば勉強とか遊びとかにはほぼ興味なかったです。

不思議なのは、

当時、歌とギターはそこまでやってなくて

取り組み具合としては『歌7:ギター3』ぐらいで、でも散歩とか思索とか詩とか音楽を聞くなんかよりは数段落ちる感じでした。

歌うのは好きで歌のためにランニングとかしてたけど、どちらかというとそれはメンタルの発露で、音楽を聞くことの付随的なもの。

ギターは練習嫌いだったので「何でやってるんだろう?」とか「本当はピアノが好きなんだけどな」って感じだったのでなぜ今でも続いているのか謎な状態です。

そういうことを踏まえて整理すると

・散歩、詩、思索、音楽を聞く→やりたいこと、やれること(原因)
・音楽をつくること、ライブすること→最終的に発生したもの(結果)

ということになります。

散歩とか詩とか思索とかしてるうちに「あ、曲が出てきた、作らなきゃ」みたいになって作り始めて、結果的に出来てしまったのが音楽。それを発表したいなと思った時にやるのがライブ。

みたいな位置づけなのかなと思ったりします。

そう考えると、「音楽をやりたい」は本質からずれてしまっていて、そこに固執すると「やりたいのに何で出来ないんだろう」ってことになりかねなかったりして。

だから、

「音楽聞いて散歩して、思索したり詩を書く毎日」

これをやることが第一義で、音楽を作るのは気分に合わせる、ぐらいの方が自然なライフスタイルというか目指すべきところなのかなーと思ったり。

自然とやれてしまうことを一番に置いた方が結果的に量も作れるし質も上がるので、変に頑張らずに、ゆっくり整えていけたらと思います。

LR/sounds.Artでででした、おやすみなさい。

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