LR/sounds.Artでででです。
さっき気づきがあったのでメモります。
突然ですが、僕は
『正しいやり方』に沿うことが苦手です。
世の中って、いろんな『正しいやり方』があります。
例えば、
・コミュニケーション
・お金の稼ぎ方
・マナー、礼儀
・鉄板の成功法則
・ギターの練習法
とかとか。
でも僕は昔からそういうのに沿って動くのが苦手でした。
最初は勢いよくやり出すんですが、だいたい1〜2ヶ月もすれば
「これは自分じゃない、やりたいことじゃない」
って熱が冷めてしまうことが多いんです。
これって天邪鬼な性格のせいとも言えるけれど、たぶんもっと別な理由もあるんだろうなってのは思ってて。
それで「こういうことなんだろうな」ってのは考えてたんですが、うまく言い表せそうな言葉を見つけたんです。
それは、
「”役割”である前に、わたしである」
という言葉です。
2つのタイプの人がいると思います。
1,目的のために、役割を演じることができる人
2,役割である前に、わたしである人
です。
前者、
1,目的のために、役割を演じることができる人
は、わかりやすい例で言えば「お金がほしい!」って思って、そのために本来の性格とは違う誰かになれる人です。
役割に徹することができる。役割のためにわたしを注ぎこめる人。
外で働いているとけっこうこういうのは身近に感じることができて、例えば生活のために嫌いな上司に頭を下げられる人は(仕方なくだけど)会社員を演じてます。
社長さんとかでも、部下の前では社長らしい振る舞いをしよう、とか、そんな感じで社長に徹することができる人です。
それに対して後者、
2,役割である前に、わたしである人
は、役割をわかってはいるけど、『わたし>役割』だから演じるのが難しい人です。
役割はわたしの一部。時に役割を捨てて、わたしを取ることが出来る人。
嫌いな上司がいたら最初はガマンしても、途中で言い返して「辞めてやる!」ってなったり、社長を毎日演じるのはキツいから企業の社長とか絶対ムリーってタイプです。
それでさっき、
僕は後者なんだなーと
気がついたというか、改めて整理されました。
そもそも
正しいやり方って『何に対して』正しいか
というと、目的に対して正しいんです。
「成功という目的を達成するには、〜〜というやり方が正しいです」
みたいな感じです。
その正しいやり方に沿うのって、詰まるところ、目的に対して役割を演じきるということです。
でも、目的のために”わたしを制限”して役割を演じきるってめちゃくちゃ辛いし。
そんな状態で目的達成しても、自分にとって幸せかといえば、必ずしもそうは言えないなーと思いました。
そうやって考えていくと、やっぱり、
外の定義に自分を最適化させちゃいけない
って思います。
外の定義に自分を合わせていくんじゃなくて、自分の輪郭に外の定義を合わせていかないと、本当の満足って得られないんだなーって感じました。
毎日、しずかに自分の輪郭を見つめながら、生きていきたいなって思います。
LR/sounds.Artでした、おやすみなさい。