【い】閉ざされること。

LR/sounds.Artででででででです。

ここしばらく家でうつうつとしていたり、【に】全部捨てたいという気持ちという記事で書いたようにきれいさっぱりしたかったり、死にたかったり衝動的に川に飛び込みたくなったりする中で、なんとなく気がついたことがあります。

「深く閉ざされた奥底に、創造性が横たわっている。」

ということです。

閉ざされるというのは、人間関係を断つとか物を捨てるとか、あるいはミニマリスト的になるとかそういうことではないです。

こういう表現をするとどうしても語弊が出てしまうのでなるべく避けたいのですが、一番近いニュアンスの言葉が『自閉的になる』ということ。

自らの世界に閉じこもって、反芻しながら『繰り返す』ことです。

昔からよく、ふとした瞬間に自分の世界に閉じこもって前が見えなくなったり、何か強い刺激があると思考の中に閉じこもってしまうことがありました。

世界がすごくグレーでセピアで現実感がなくて、音楽に出会う前は思考だけが、出会った後は音楽だけが、色づいているような感覚でした。

そしてその瞬間にこそ、本当に望むものがあって、鮮やかなリアリティがあって、そこだけが生きている実感のよりどころだったような気がします。

僕は

音楽に救われたから音楽が好き

であって、音楽だけが生きている意味です。

そしてその『音楽』はいわゆるエンターテイメントや、みんなを楽しくしたり、共感して涙を誘ったり、あるいは商業物としての音楽ではないです。(結果的にそうなるのは気にしないけど)

音楽が親であり、子であり、神であり、食べ物のような栄養でもあります。

「そういった音楽が存在するのは一体どこか?」と考えた時、それはきっと極度に閉ざされていた瞬間の『あの場所』にしかなくて、もしその場所へまたゆくのなら、もう一度、閉ざされることを始めなければいけません。

では閉ざされるにはどうするかと問えば、それは開かれるの逆。社会の『くびき』を外すことにあります。

例えば資本主義、例えばライトな人間関係、例えば繋がりに欠けた物質たち。

『閉ざされた結果』としてそういうものが離れてゆくのであれば、きっとそれは創造性に近づいているということだと思います。

とりあえずつらつらと、気づきについて書いてみましたが、何かそういう方向でこれからの人生を歩んでゆけたらなと思っています。

LR/sounds.Artでした、おやすみなさい。

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