LR/sounds.Artででです。
最近自分が書いてるコロナウイルスとか政治についての記事とか振り返ってみると、
「わかりやすいこといってるな」
って思います。
もちろん「説明がわかりやすい僕えらいぜ」みたいな話ではなくて、こういう現実的な内容を書いてるとわかりやすい存在になってきてしまうので、ミステリアスさが減っていく感じがしているんですね。
例えばゴッホがコロナウイルスについて何か芸術家っぽくない発言してたらオーラがちょっと消えちゃうなみたいな感じです。イエスキリストが牛丼の写真をツイッターにアップしてるみたいな。
まあそういう雰囲気って狙って作るものでもない気はするんですけど、とりあえずもし芸術家を目指すなら
ひたすら芸術家っぽい発言を心がける
のがオーラを増すには良いのかなとは思うんです。
でも僕はそっちは単純に疲れるので今はやめました。(牛丼写真はアップしないけどね)
それよりも
素でヤバくなりたい
というか、「普通に居酒屋でお酒飲んでくっちゃべってるけど掘り下げてみるとめちゃくちゃ複雑でけっこうヤバいな」みたいな存在になれたら嬉しいなーとか思うんですね。
一見普通だけど実は複雑すぎてミステリアスみたいな。
例えば普通の話もできるけど、それ以外のヒンドゥー教の神様とか潜在意識の話とか何か別のちょっと怪しい話題とか芸術は爆発だとか、イメージ作りのために言ってるんじゃなくてガチで言ってて、それらひっくるめた一人の人間というか。
なぜならそうなったほうが、
作品に真実味が出る
と思うからです。
一つの絶対的正解を追い求めるのもカッコいいけど、世俗的なところで白も黒も知っていると深みが出ますし、抽象的に複雑な構造ってエネルギー出ますから。
そういえば、
宗教の教祖って2つのタイプがあって、
1つ目は絶対神タイプです。
世俗から離れててすごい超人的能力もってて、信者から遠い存在ですごい悟りを得ちゃった人みたいな。キリストとかブッダはこっちかなと思います。(ブッダは唯一神ではないけど)
2つ目は世俗的だけどすごいみたいな人です。
イスラム教の預言者ムハンマドとかはもともと商人で戦争したり政治もやっていたので、身近ですごいリアルで世俗的なこともやっていたけど、ちゃんと宗教もやっていたみたいな。(もしかしたら宗教が一般的な当時では、預言者というかダヴィンチみたいな最強超人みたいな扱いだったのかもしれないですね)
つまるところ
閉ざされた世界で修行して突き詰めるか現世から悟りを得るか
いわば密教と顕教みたいな違いがあって、僕は基本的には後者のスタンスでありたいなーと(今は)思っています。
(※密教はお堂にこもって謎の厳しい修行すれば悟れるよってタイプ、顕教は念仏唱えれば救われるよってタイプです。)
だからそんなに政治的な話とかは書かなくても、わりと日常的な内容とか思ったこととかは発信していいかなーと思ってるんですね。
それで繋がってくれる人もいて嬉しいですし!
なので今の在り方(ブログで思ったことそのまま書くみたいな)には自分で納得はしているんですけど、ここまで書いてみて
密教的在り方でいられる人もちょっと羨ましいよね
とちょっと思ってることも気がつきました。笑
閉ざされた世界で一つのことを追求する、それもとっても美しいなって思います。昔はそっちの方向で行動してました。
どうしても疲れてしまうし日常も生きなきゃいけないから世俗と混じった方向を自然と選択してしまうけれど、ちょっとずつ環境も変えていって、また洞窟にこもるような生き方もできたらいいなーって思います。
LR/sounds.Artででした、おやすみなさい。