【お金】電車広告と資本主義のDNA

LRでです。

今日外から返ってくる時、電車のディスプレイ広告をじーっと眺めてました。

それでめっちゃ思ったんですが、

お金の広告がすごい多い。

消費者金融のローンもそうだけど、法人への融資、なんかの節約相談会、住宅ローン、とにかくお金、お金、お金。

たまにイメージ広告も流れますが、5割ぐらいはお金の話で、あとの3割はセールス広告でした。セールス広告もお金が絡むので同じジャンルのひとつです。

それで、前までは「あーこういう視点で広告出すんだね」とか、マーケティング的なことしか目につかなかったんですが、

あ、資本主義がDNAに染み付いてるんだな

って、今日は感じました。もっと本質に近づいた感じです。

というのも、お金ってそもそもが貝殻なんです。モノとモノの交換の尺度です。

それが信用創造(元本が銀行に1万円しかないのに100万円や1000万円貸せるとか)や投資の高すぎるレバレッジとかで、お金の価値がモノの価値を超越してしまっています。

結果、大きすぎるお金を手に「させられる」人が増えて、返しきれずに破綻しがちです。(広告で欲望刺激されて組んでしまったローンとか)

……って、お金に対する文句を言いたいわけじゃなくて(僕は資本主義まあまあ好きだし)、

よくよく考えてみたら、

全部貝殻に置き換えたらめっちゃおかしいよね

って話をしたいのです。

例えば消費者金融で

「50万円まで審査なし!低金利4.8%〜16.8%、30日間無利息!最高限度額300万円!」

って広告があったとすると、

「貝殻5000枚まで審査なし!低貝利4.8%〜16.8%、30日間無利息!最高限度額貝殻30000枚!」

って感じです。

「そんないっぱい貝殻いらないやん」

って思います。何に使うのって。

さっき「お金の価値がモノの価値を超越」って書きましたが、この場合のお金の価値って、頭の中で思い込んでいる価値の意味合いがすごく強いです。

でも、「それだけ必要なんだ!」「ほしいんだ!」って気持ちが、広告のおかしさに気づかないほどに、DNAレベルで染み込んじゃってるんだろうなって思うのです。

じゃあ、

どこで染み込んでしまったのか?

例えば、「ほしいんだ!」って気持ちに着目してみると、

今いっぱいお金を使ってまでほしいものって大体は生存欲求+αのレベルを超えたところにあります。

その欲求がどこで生み出されるの?って言われたら脳だし、じゃあ何が脳に刺激を与えるの?って言ったら、たいていは広告と常識だったりします。

過剰な広告は日本でも問題になっていますが、僕は

日本人は資本主義にあまり免疫がない

と感じていて、それは単純に西欧の制度だからですね。

幕府や明治のトップダウンとか、戦後の半社会主義的な守られている感じに歴史的に慣れちゃっているので、経済合理性の話に免疫がない人が多いんじゃないかなあ。

(孫正義さんや堀江さんみたいな人は少数派だと考えています。昔よりはだいぶ増えたとは思うけど……)

加えて、グローバリズムが言われだした時代から

どんどんアメリカナイズされていく

のは避けられない流れだろうなあとも考えてます。

これは抽象的な話からも語れるけれど長くなるので置いておいて、単純にここ15年以上、ずっとそういう流れに乗っているなあと。

何か別の政治的な動きがない限り、資本主義に忠実な社会になっていくということです。

だから「給与をあげろー」「上が悪いんだー」みたいに、上に頼る社会ではなくなっていくので、

その流れに乗ったほうが楽だよねって考えてます。

ぶち壊そうとしても止められない流れってあるので、そういうのには乗っておくのがラクで楽しいと思います。(人生楽しいが一番)

でもたまには貝殻に置き換えて広告を見てみたりして、原点回帰しながら、お金に対する免疫をつけていくべきだなあと今日は思いました。

LRでした、おやすみなさい。

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