LRででです。
最近インスタとYoutubeがとても楽しくて、どちらもよくアップしてます。
ギターの即興とかを英語タグメインでアップしてるせいか英語圏の人が多くて、「So sweet(最高)」とか「So talented(才能あるね!)」とか、お世辞かもですがみんな気さくな感じで褒めコメントくれて嬉しいです。
(最近は日本人の方ともつながれて話せるようになって楽しい!)
でも良いコメントが何百個かぐらい来たら、
1個ぐらいはネガティブコメントも来る
ことがあります。
僕はまだ2回ぐらいしか遭遇してませんが、今回あったのは
「Sorry but this is trash. If I was a garbage man I wouldn’t even touch it(ごめん、これはゴミだね。俺がごみ収集人でも手をつけないよ)」
ってやつです。わざわざ言うな!笑
(でもこの方の場合は最初にSorryとついていて、なんか配慮が見えます。ほんとにひどいと「クソだね」の一言だったりします)
僕は本当に豆腐メンタルなので、こういうのが来るたびに心臓がキュッと縮む感じがして、頭に血が上って泣きそうな気持ちになって、今すぐその辺のアボガドを投げつけたくなります。
でも実際にアボガドを投げつけるまでにならないのは、
ネガティブコメントへの対処方法
をある程度は決めているからです。
具体的には、そのコメントの意味やどうとらえるかを決めています。
例えば、
ネガティブコメント=心を動かした証拠
であると考えてます。
嬉しいとか楽しいにかぎらず、むかつくとかイラつくって感じさせたのだとしたら、作品に感情を動かすパワーがあるからです。
一番こわいのは無関心です。
なので反応があるのは成功といえるし、ある意味世界一不快にさせる作品とかあったらその芸術家は超有名になると思います。そういうものかなと考えてます。
他にもいくつかあって、
感情は創作エネルギーになる
ので、それも良いことです。このブログも、コメントがきっかけで書いてます。
さすがに「くれてありがとう」と思えるほど大人ではないけれど、でも怒りは本当に創作エネルギーに昇華しやすいので、その意味では常に怒っていたほうがいいかもしれないです。神経きれそうだけど。
あとは、
書いた人にも何か事情があるんだろうな
って思います。
例えば、「ごみ収集人」の人はビシっと決めた写真が多くて、インスタ見る限りはカッチリした考え持っていそうでした。
だからたぶん「芸術はこうあるべきだ」というのがあって、そこにはまっていなかったから黙っていられなかったんだと思います。
実際に芸術もギター音楽も西洋やアメリカが中心というのがあって、ルールを決めている国なので、しっかりした人から見てルールから逸脱するとムカついて当然です。ジャパニーズスシをナイフとフォークで食べるようなものです。
そんな感じで、「ああ、しっかりした人だからムカついたんだな」とか。
相手の今の状況やバックボーンを想像してみて「なんかこの人は仕事うまくいってないのかな」「恋人に文句言われたのかな」とか。
相手にもわざわざ悪いコメントを書いた理由や事情がいろいろあるんだろうなーと思うと、ちょっと気持ちが楽になります。
だからとりあえずどう返すかというと、英語が正しいかはわかんないけど
「Best Compliment!(最高の褒め言葉!)」
ってコメント返ししたり、てきとーに絵文字だけつけて返しておくことが僕は多いです。それであとはなるべく忘れます。
さっきの人の場合は、そう返したら
「all trash is a form of art. Keep expressing yourself.」
って返ってきたけど、たぶん「すべてのごみはアートのいち表現形式だよ。あなたの創作を続けてね」的な意味かなと思います。
それか「アートの型に至るまでの過程だよ」とか「君は君で勝手にやってね!」ぐらいかもしれない。そんな感じです。(ネイティブのニュアンス難しいです)
ちなみに、実際に
アートの型=こうあるべきだ
というのはあって、僕もそれを意識していたりしていなかったりします。
それで、インスタにあげた該当の動画はその辺についてあまり意識していなかったやつなので、「これはごみだね」はアート方面から見れば正しいというか鋭い指摘だなあとも最初見て感じていました。
そんな風に自分の中で意味づけ論理づけして納得するのも、厳しいコメントへの考え方のひとつかなあと思っています。
何にせよ豆腐メンタルなので、完全につぶれないようにしながら、イソフラボン補給して生きていきたいです。
LRでした、おやすみなさい。