【芸音】その音を入れる必然性

LRでです。

僕は何か曲を作ったり、即興演奏する時、いつも自分の中の必然性に従っています。

これって言葉じゃ表しづらいんですが、

「絶対ここでしょ、それ以外はありえないでしょ」

って感覚です。

これはどこかで学んだというよりは、昔から頭の中に座標軸があって、そのポイントに音をつけているという感覚です。

何か熟練している仕事とか、上達した技術とかをお持ちなら、何となくイメージできるのではと思います。

それで、さっきサウンドアートの曲をいくつか聴いていて感じたのですが、やっぱり必然性がある曲とない曲があります。

この感覚ってほんと不思議なんですが、

ジャクソンポロックの絵画とジャクソンポロック風の絵画

を見比べるとすごく分かりやすいです。

ポロックの絵っててきとーに見えて絵具の分布が均一になってるらしいんですが、これってつまりは雪の結晶みたいに自然世界の法則に絵がリンクしてるよってことだと思います。

たぶん、

無意識とか人間の自然状態を投影している

ところに一つの本質があります。

でもポロック風の絵画ってこのルールに気づいてないものが多いか、気づいていても別のルールを入れているので、抽象的に見えてめちゃくちゃ具象的で粗い映像になってるなーって僕は感じます。(狙ってやってるかもですが)

それでサウンドアートの必然性の話に戻ると、

「自然状態を表しているのに不自然な音が入っている」

そういう曲を聴いて、違和感を覚えたということだと思います。

単純に自然音とかインダストリアルな音とかそういう意味での自然不自然ではなくって、重力の方程式の世界で音が鳴っているのにその音だけ変なスピードで空に浮かんで逆行してるみたいな不自然さがあります。

物理法則が全く違う感じです。

ただ、それを完全な自然状態にするのってめちゃくちゃ難しい……というか難しいとか考えてたらその時点で終わってしまうので、その意味では100%って大変なのだろうなあとも思います。

ちなみに鈴木昭男さん

はその辺りのバランスめちゃくちゃ上手だなーと感じてます。(当たり前だけど)

すごく静謐な中で音世界と向き合ってきたのだなあと思うと共に、なんか自然の中で生きるというか、長い時間にわたって自然と向き合う必要性も感じました。

僕は今は都会にいたいなーと思ってますが、今は今できること、先は先で出来ること、ひとつひとつに向き合って曲を作っていきます。

LRでした、おやすみなさい。

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