LR/sounds.Artでででででです。
全部捨てたいと思う時
がたまにあります。
身の回りの物質ことごとく消え去っちまえタイムです。
そういう時、一番減らしたいと思うのが
・音楽機材
・本
・服とか布類
で、特に音楽機材は場所を取るのでとにかく目につきます。
勢いで楽器屋の買取サービスに申し込んで全部売っぱらっちゃえとか思うんですけど、でもフリマで売ったほうが当然お金にはなるし差額もそれなりに出てしまうのでなかなか踏み切れない感じです。
そういうお金とか気にする部分って合理性とか論理性だったりするのかもしれないですが、
論理とか合理とか吹っ飛ばさなきゃいけない時
ってあると思います。
計算じゃねーんだよ、みたいな。
僕はその辺が本当に弱っちくて、何事も頭でっかちなところがあるのでなかなか爆発することが出来ません。
たまにめちゃくちゃ悲しくなったり憤ってる時に曲をばーって創るみたいに、きっと何かしら眠ってたり燻っている部分があると思うんですけど、日常ではそれがあんまり目覚めない。
お酒飲んだりあれやこれやしてたら目覚めることもあるんですが、日頃目覚めてないってことはずっと内部でチクチク精神攻撃してるってことかもしれません。
ああ、
人生って生きてるだけでしんどい
です。
何でこんなにしんどいのかな。
昔よりだいぶん楽になったし、ヒドイ人間やひどいことたちからは逃れることが出来ているし、「こんな環境でいたいな」っていうものに半分ぐらいは近づいています。
(全然関係ないけど、楽っていう字に草を生やせば薬なんですね。楽しく草生やしてたら薬になるのかな?)
それなのに、この漠然とした生きづらさとかしんどさってものからは、いつまでも逃れられない。
もしかしたらそれは漠然としているんじゃなくて、
本当の原因があるのに漠然としか感じられないだけ
なのかもしれません。
そうやって原因を探す心は経済の食い物にされるんですけど、でもやっぱり何かあるのなら知りたいなーって思わなくもないです。
絶対的なものなんてこの世に何一つなくて、それはただの意味づけでしかないんですけどね。
なんでこんなに
人は不自由
なんでしょう。
本当に不自由です。
知能があるばっかりに、道具があるばっかりに、意味があるばっかりに、こんなに不自由でがんじがらめで、本当はがんじがらめではないかもしれないのにがんじがらめに感じてしまう。
そんな心が憎いんです。
頭の中はいつも言葉だらけでざわざわしていて、昔よりずっと静かになったようでいて実はしゃべらなくなっただけで音と息だけはぼやーってずーっとずーっと鳴っていて。
本当にうるさい。本当にうるさい。
何とかならないものかと思います。
でも、でも、
その言葉を失ってしまったら僕が僕でなくなる
という面もきっとあるんだろうなって思うんです。
苦しんでいることがアイデンティティで、またアイデンティティというのもバカらしい後づけ概念だなとも思うんですけど。
そうでもしていないときっと自分の自我が保てない、そんな行動パターンが植え付けられてしまっていて、もうこのまま一生死ぬまでそれを変えられないし、変えようともしないのかなあなんて思います。
概念を知ってしまった、それ自体が悪夢です。
差別だって一緒です。
差別って概念がない世界が差別ゼロのゴールなのに、差別って概念を定義する時点でなんか上から目線で、あえて差別を作り出しているんだろうなーって感じもします。
労働とか人権とかも一緒で、そもそも憲法に定義されるまでもなく人は生まれながら自由で好きに生きていい動物です。それは親子関係にも定義されないです。
なのに何らかのものに定義されて、それが真の自由であるかのように喧伝してコントロールされて、そんなの馬鹿らしいって僕は思います。
いつか概念のない世界に行きたいです。
意味とか理由とか原因とか結果とか、そんなものほんとはどうでもいいんです。
考えるのは暇つぶしでしかなくて、定義された世界の中であれこれ粘土をこねくり回して再生産して偉そうにしてること自体が本当に馬鹿らしいです。
辞めたほうがいいんじゃないかな。
そんな感じで、なんかとりとめのない話になっちゃったけれども、とりあえず
全部捨てたいと思った時
に、たまには思い切って飛び込める、そんな人間になりたいなと思いました。
ああしんどいです。
LR/sound.Artででした、おやすみなさい。