【詩】人生の、最終目的地。

僕の人生の、最終目的地。
「世界は、止まっているんじゃないだろうか。」
今日、歩いていてふっと感じたこと。
それはつまり、こういうことです。


色々なものが誕生し、変化し、消滅していくのだけど、
それは私たちが、変化を感じているだけなのであって、
本質的な何かは、ただ一つ、そこに存在してるだけなんじゃないか。
たとえば、一年前の自分より、きっと老けているし、
人間関係も少しずつ変われば、環境そのものも少し変わってる。
でも、変わる前の存在と、変わった後の存在を比べれば、
それははたして、異質なものか?結局、同質なんじゃないか?

 

それなら、何が変わっただろう?

 

どれだけ性格が変わろうが、見た目が変わろうが、
それは変化であって、変質ではないということ。
過去も現在も未来も、ただの人間であって、
もっというなら、ただの存在でしかない。
何を以て、変質とするのか?
そんなもの、本当はどこにもなくって、
実は何も変わってはいないんじゃないか。

 

明らかに、測定値として「この鉄は老朽化した」と言われても、
「ああ、集まりの枠組みが変わりましたね」となれば、
ただのゲシュタルトの話でしかなくなってしまう。
人の認識が変化を引き起こすだけであって、
本質的には、何も変わってはいないのだろう。

 

それなら、「変質」するにはどうすべきか。

 

認識の枠組を越えて、絶対的に変わっていく、
そういうことを考えていくときに、
どうしても、絶対的な存在というものがちらついてきます。


論理的思考というのは、必ず限界があって、
言葉が全てを四角に区切ろうとするから起こります。
けれども、物質存在というのはもう少しグレーで、
ぐにゃぐにゃした輪郭の境界線を描いているので、
その四角では完全に切り取っていくことは出来ないわけです。

 

しかし、グレーの辺りであれば、
言葉には出来ない「感性」で感じることが可能です。
何だかよく分からないけど、そこにある感情のようなものです。
それは、3次元~3.5次元~4次元と深くなる、
次元の関係性にも似ていて、境界線は3.8辺りにあります。
どこをどうしても、人では知覚できない場所、
そこが境界線のさらに深い場所、4次元以上です。
ここでいう4次元とは、物体+時間ではなくて、
相対的世界を抜けた地点の話になります。

 

人は、自分が生きているということを示せません。

 

心臓が動いているから生きている
脳が動いているから生きている
思うから生きている
何かの前提が無ければ、生きていることすら示せません。
相対的価値観にどうしても依存してしまう世界、
それが、人間の生きている場所だと思います。
そこに軸を一つ足した世界が、ここでいう4次元です。
もしかしたら、軸をいくつも足したものなのか、
あるいは、軸が全く無い世界なのかは分かりませんが。
何か絶対的な世界というものが感性の先にあって、
その地点に辿り着いて、初めて「変質」するんじゃないでしょうか。


こういうことを考えているのは、凄く楽しいんです。
思えば、「日曜って何で退屈なんだろう」と4歳の頃に思って、
それ以来ずーっと「何故?何故?」を繰り返してきました。
たまたま、音楽や芸術というものが好きになったけれど、
ずっと探している絶対的な存在に、
最も近い場所が、きっと表現だからなんでしょう。
この探究こそが、永遠の課題なのであって、
僕の人生の、最終目的地なのだと思いま

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