LR/sounds.Artででです。
この頃はなんていうか、
動けているのか動けてないのか分からない
変な感じです。
2週間ぐらい前までいろんな話をしにいったり、実験的になんかいかツイキャスしてみたりとか何かやる気あったような気もしてるんですけど、反動なのかまったりモードに入っちゃいました。
昔に比べれば、
動けない自分をダメだと思う気持ち
はちょっと減ってきて、あんまり自分を責めることもなくなりました。
それでもどこかで変なプレッシャーがある部分もあって、
「一体自分はなんのために動こうとしているのだろうか」
「そもそも動く必要があるのだろうか」
「もっと力を抜いて前に進めないか」
とか、いろんなことを
考えてるような『気がする』
のですが、実際には言語化できていません。
言語化できていない状態って何かといえば、ベッドの上でうつぶせになりながら横を向いてぼーっとしてる、その時間が何時間も続いてしまうアレです。
そういう状態が続くとついつい「だるい」とか「ねむい」とかツイッターでつぶやきたくもなるものなんですけど、そうすると
「この人は何か暗いな、近づきたくないな」
となって、人の反応が減っていって、そういう様子を見ているとまた「自分はダメなやつだな」この無限ループが起こります。
「人って他人のことを案外気にしてないんだな」というか「人目気にしても仕方ないから気にせず生きていこう」というのは最近やっとちょこっと体感的にわかってきたんですけど、それでもたまに妙におどおどしてしまう時はあります。
僕は人の心理を見ながら文章を書く仕事をしているので、
必要以上に見えすぎる
ことがあります。
たぶん相手の無意識の声が、相手よりもずっと見えています。
それはもう
めっちゃやかましい
です。
本当にやかましいというか情報量が多いというか、一つ一つに反応しても仕方ないんですけど、そこは僕の相手の様子を伺う性格もあって非常に心がグラグラして、その心のグラグラが相手に伝わって不快にさせてしまい、そのリターンでまた僕の心もグラグラします。
いわばグラグラの永久機関であって、正直に言えば僕もそういうグラグラした人って苦手なんですけど、
苦手の裏返しは自分の欠点
みたいなところもあるでしょうか、なんか自分がそうなってしまう時もあります。
でも思い返せば、別にこれは普段からやっているために鍛えられた能力なのではなくて、もともと持っていたものです。
昔父親に
「お前は繊細すぎる」
と言われましたが、そういえば庭に咲いた小さなスズランぽい花を見て切ない気持ちになってました。
目の前を歩く人がアリを潰せば怒りが湧いてきたし、側溝の蓋の穴を見ただけでそこに何かの有機体が入っては出てしている様子が見えたし、電車に乗れば屋根の上を何かが走っていました。(子供がよくやるやつ)
『たったひとつの小さな差異を見抜く』
これは諸刃の剣です。
小さな差異は統計でいうところの有意差なので、その小さな差異をヒントにして次の展開を考えることができます。
でも逆に言えば小さな差異に気づきまくると常に翻弄されることになるので、人を目の前にした直接的なコミュニケーションには情報量が多すぎて向かないことがあります。
だから何が言いたいのかっていうと、
生きづらいなあ
ってことです。
本当に生きづらい。
昔よりいろんなものを持ってます。いろんなことを覚えました。
できることも増えました。栄養状態もよくて健康になったと思います。
それでも辛いときがあります。
「何が辛いのか?」
物質的に幸せでも精神的に幸せじゃないんだねとか、そういう軽い話じゃないんです。
ただ漫然と生きづらいなって思う。
でも漫然という状態はただ言語化できていないだけであって、無意識下で何かしらのいろんな理由がこんがらがってそれを抽象的に感じているというだけの状態なんです。
だから解決も抽象的じゃないと対処できない、それが僕にとっての音楽なのかなあって思います。
でも
漫然と生きづらくても何か希望はあるというか、
なんていうか生きづらい人でも生きやすい社会をつくりたいなあって想いはあります。
そういう意味では昔よりもだいぶ楽になったんじゃないでしょうか。
9-17時の朝型固定勤務+残業とかが社会常識だった時代から、IT系中心にフレックスとか在宅勤務とかも普通になってきて、正社員が絶対でフリーターやフリーランスはアウトローみたいな時代から、そういう生き方もあるよねとか。
そうやっていろんな選択肢ができて、社会もそれに対して寛容になってきて、そういうのはどんどん広がればいいと思います。
それで、僕が今個人的に一番困難に感じていて一番「変えたい」のは、
睡眠ぐちゃぐちゃでも生きられる状態
です。
なんか今日も21時過ぎに起きたんですけど、そうやって睡眠サイクルがぐちゃぐちゃだと朝型昼型が普通の社会環境に耐えられなくなってくるんですね。
どちらが無理をして合わせるかといえば夜型の方で、寝不足でもがんばって起きたり遅刻を繰り返して夜型側が信用を失ったり、そういう損はしやすいし、絶対死亡率上がるよなーとか思います。
かといって直すのも困難なわけで、だったら『正しい方に直す』って考え方じゃなくて、ぐちゃぐちゃでも生きられる状態を作って、社会的にもそういう環境を整備していこうよみたいな考えをしています。
そうは言っても絶対時間で固定しないとなかなか一つのルールには落とし込みづらいから、どうしても個々でフリーランス的に生きて、その連帯サークルを作るみたいな、何かそんな感じになるのかなあとか。
今僕はわりと自由があるけれど、もっと自由の形を作っていって、そういう居場所をつくれたらいいなあと思いました。
LR/sounds.Artででした、おやすみなさい。