LR/sounds.Artででででです。
今ちょうど仮眠を取りながらグダグダ考えていたんですけど、
何のために生まれてきたのか
って思うことがたまにあります。
ぼーっとして一人で頭の中を旅していると、夢とか希望とか辛さとか悲しみとか人間関係とかいろんな”くびき”から離れて、小さな真っ暗闇の部屋に放り出されて、ありのままの自分自身の今と向き合わさせられるような状態になる時があります。
そうすると、僕も思春期の少年とかでは全然ないものなので、「なんか年取ったのかな」とか思ったり、「このまま死んでいくのかなあ」なんて思ったりするわけです。
このままどんどんみじめになって死に近づいていくのかなあ、とか。
それはたぶん、思春期の少年が自我確立のために「何のために生まれてきたのか」を考えるのに対して、
死の準備のために「何をして死ぬのか」を考える
ようなものなのかなと思います。
仮に「何のために生まれてきたのか」がプラスの方向だとするなら、「何をして死ぬのか」は逆ベクトルなのかもしれません。
で、じゃあ
僕は何をして死ぬのだろう
って考えた時に、とりあえずこのまま音楽とか詩とか絵を作り続けるんだろうなってのはあります。
というかそれが本当に望む人生なので、何としてもやり続けなきゃならないです。
でもそれと共に、
作り続けるだけの人生では空虚感が埋まらない
のかもしれないな、なんて思ったりもします。
この空虚感って一体なんだろうと考えると、あくまで僕の場合はですが
両親の愛情
なんだろうなと思います。
3歳の頃に親が別居して以降、ずっとヒステリックな母の下で愛情不足で育ったので、その時の愛情を取り戻したい。
でも誰かの愛とか、何かへの愛とか、それは両親の愛とは形が違うので、空虚感が埋まらない。
ましてや何かを作って昇華し続けたとしても、少しばかり癒やされるかもしれないけど空虚感は一生抱えて生きてゆく。
そんな愛着障害的な何かが、僕が抱えていくであろう人生の空虚感だったりします。
じゃあ、
何をして死んだら空虚感が埋まるのだろう
と考えると、これもめちゃくちゃ難しいんだろうなって感じがします。
もしかすると子育てをしながら過去の自分と向き合うことで自然と空虚感が埋まる、それが正規ルートなのかもしれないけど。
どうもそのために家族を作るというのも違うと思うし、それをやり切るには正直家族という存在が僕にはしんどいんじゃないかなと思ったりもします。
じゃあ音楽ないしアートへの評価でそれが埋まるのだろうかと言われると分からない。
むしろ空虚であるからこそ出来るものってあるわけで、なんかそれは必要悪みたいなものかもしれないなとも思ったり。
旅行とかお酒とかエンタメとかそういうものはどうだろうと考えてみるも、結局はそれらを通して自分の内面を見るだけなので何でもあまり変わらない感じはします。
よく、
見えないから怖い
と言います。
真っ暗な夜道が怖いのは街灯がないからで、暖かい色の照明がいくつもあれば怖さは随分やわらぎます。
初めて取り組むことがなぜ怖いのかと言えば、それはどんなリスクがあるか分からないからで、何度かやって慣れてこればだんだん怖さは減ってゆきます。
だから『見えないから怖い』んですが、逆に
見えてしまっても怖い
ということもあります。
いろんな仕組みとかロジックとかに気づいた上で「解決策が見えない」と”理解”してしまえば、もうそれ以上手の施しようがないからです。
真っ暗な夜道にぱっと暖色の照明がついたら、目の前にジョーズが口を開けて立っていたみたいな感じです。
絶対に勝てない、「あ、しぬわ」と理解してしまう。たぶんそんな感じなんだろうなあと思います。
ただまあ諸行無常とも言うし、そもそも
生きてるだけで空虚
みたいなアプリもデフォルトでインストールされていると思うので、その上で別でインストールされてしまった愛着障害的な空虚感アプリをアンインストールする方法を探せばいいのかもしれません。
わざわざ別でインストールされたアプリを起動して、そのゲームに乗る必要はないんですよね。きっと。
もしかしたらそれが未来志向ということかもしれないし、まあよく分からないんですけど、上手に自己洗脳的なことをして空虚感に気づかずに生きていける術と環境を作っていこうと思いました。
LR/sounds.Artででした、おやすみなさい。