LR/sounds.Artででです。
これは前から書こう書こうと思っててなかなかしっかりはまとまってなかった話なんだけど、ちょっとまとまったので書いてみようと思います。
何を書くのかと言うと、
人生の使命
みたいな話です。
そう、前に書いた【に】いよいよかって記事で、『「僕は何者であるべきか」に整理がついてきた」』って書きました。
まさにそのことなんですけど、
「人生で僕は何を為すべきか」
という話で。
僕はとにかく熱しやすく冷めやすい性格をしています。
その悪い点は一つのことがなかなか続かないので色んな経験や投資が(短期的に見れば)間違いなくムダになってしまうこと。
そのせいで正直あまり効率の良い生き方はしてこなかったと思います。
逆に良い点もあって、それはたくさんのことを経験できることです。
好奇心旺盛なところもあるので、危ない橋と行ったら言い過ぎだけれどちょっとヒヤッとする場面も経験してきました。
もちろんたくさんのことと言っても世界一周旅行したわけじゃないし色んなスポーツにチャレンジしたり色んな車に乗ってみたとかでもないし、あくまで自分の興味範囲内のことではあります。
でもそうやって色んなことを経験していく中で、
だんだん続いているものが絞られてきた
ということが分かってきました。
それは『思想(思考)』と『音楽』です。
だから、「思想と音楽で食べていけたらいいな」なんて夢見るようになりました。
でもそれには
2つの問題
があります。
1つ目の問題は、思想と音楽は必ずしも相容れないということ。
僕はどんなジャンルでもいいので『思想性がある音楽』が好きです。
思想といっても別に資本主義とか共産主義とかそういうものじゃなくても良くて、なんというか本当に当人の心に根ざしたものであったり、曲からその人の生き方がにじみ出ている音楽が好きなんです。
だからそういう音楽を作れば良いのだけれど、音楽にはエンターテイメントの側面もあるのでなかなか思想性の強いものは受け入れられづらいんだろうなというのは、実感としてあります。
でもそれはまあ、自分を自然と出していけば共感してくれる人は集まってくるし、とにかくなるべく聴きやすい形で外に出しながらお客様とも交流してゆくことで、自然と良いポイントが見つかってゆくというか、中和されていくのかなって思っています。
それで、2つ目の問題。
こっちがすごい重要なんですけど、
社会との接点が見つからなかった
んです。
自分が思想をやりたい。音楽をやりたい。
そうやって叫んでみた時に、受け手はどう思うのか?
「あなたの思想と音楽を受け取って、私にはどんな良いことがあるの?」
その地点がまったく見出せなかったです。それはもう長い間。
僕は「みんなを音楽の力で笑顔にしたい」とかそういう天使キャラではなくてどちらかと言えば叫ぶ系のキャラだから、ともすれば内省的なままで終わってしまいます。
例えば、Brainfaceって名前で作ってるこれとか、
友達の総評が「すごいけど怖い」でした笑
僕の中ではこの曲はやりたいことも目指していることも、伝えたいことと言うか与えたいものもハッキリしているんですが、仮に説明しても上手く伝わる人は限られると思うし、伝わった上で受け取りたい人はさらに少数です。
限りなくゼロに近いのであればそれはほぼ『内省的作品』なのですから、社会的な接点が持てません。
するとどうなるかというと、ワンチャン何か当たらない限り「思想と音楽で食べていけたらいいな」が夢のまた夢になってしまいます。
だから、この2つ目の問題はどうしても向き合う必要がありました。
また、単に自分が食べていけたらいいという発想ではなくて、純粋に
「自分がやりたい思想と音楽で、人の役に立てる道はないかなあ」
って考えることも2019年から多くなりました。
何かの節目を感じていたからかもしれないし、ちょっと大人になっただけなのかもしれないけど、
『等身大の自分がやりたいこと』は一切曲げず社会との接点(最小公倍数)を探す
みたいな思考だったと思います。
そういう考え方でいろんなことを考えていって、ずっと見つけられなくて、でもやっと見つかってきたなあっていうのが『人生の使命みたいな話』だったのです。
じゃあ、
「何をやりたいの?」
と言われると、それはとても明白で。
ざっくり言うと、
シンギュラリティ以後の新しい生き方思想(ポスト資本主義)を構築し実践して広めていきたい
って想いがめちゃ強いです。
というのも、時代が進めば進むほど『労働力の価値』って限りなくゼロに近づいてゆきます。
前に【い】少子化は止まらない(止める気がない)って記事でもちょこっと書いたんですが、今後技術発展が進めば進むほど人間の労働の価値ってなくなっていきます。
例えば今の時代は電車と車が当たり前の移動手段として発達していますが、昔は馬車だったわけです。
じゃあ今の時代に馬車をメイン移動手段として使えるかと言えば、スピードは遅いし馬はお腹を空かせるしせいぜい人数人しか乗れないしすごく非効率なので『投資する価値』がありません。
なので馬がどこで生き残っているかというと、別の方法、それは競馬であったり観光産業の馬車であったりします。
馬の移動手段としての価値はゼロに等しくなった
って言えるわけですね。
だから『投資する価値がない』ので、移動手段マーケットの中でお金が支払われなくなりました。
それじゃあ、
人間はどうだろう?
ってことなのです。
例えば昔は、
・目覚まし時計
・腕時計
・オーディオプレイヤー
・固定電話
・携帯電話
・カメラ
・郵便
とか、色んなツールを使って楽しんだり交流したりしていました。
もちろんそれらを生産するためにたくさんの人や物が動き、そこに賃金や費用という形でお金も支払われてきたんです。
でも今では技術が爆発的に進化し、
・スマートフォン
だけで、上の機能がすべて満たせてしまいます。
では、
目覚し時計や腕時計やオーディオや電話やカメラや郵便産業に携わっていた人たち
はどこへ行ったのか?
もちろんより専門性の高い産業(ソフトウェア作るとか)とか、無事スマホ関連工場で働けた人もいると思います。
でも作るものが減っているということは単純に雇用も減ります。
きっとほとんどの人は、
工場などが閉鎖して別産業へ移らざるを得なくなった
ということになったのではないでしょうか。
それでたとえ無事に同じような難しさの仕事につくことができても、別産業では専門性が違いますから、転職にあたり賃金も下がる人が多いのではと思います。(=労働生産性への評価が下がる)
もしそんな状況がどんどん進んでいったらどうなるのか?
技術発展が人間を労働市場から追い出す
のです。馬と蒸気機関車のように。
つまり、技術がどんどん発展していくと残っていく仕事も難しいものが多くなりますが、それに対応できる人もどんどん限られていくので、対応できない人は
『労働生産性がゼロに等しい=資本主義社会には不要』
となるのです。
例えば前の記事で工場でロボットが働いているというのを書いたけれど、
ロボットのが壊れないしサボらないし給料も安いしやめるリスクはないし、経営者としては願ったり叶ったりです。
ロボットのが時給が安いので、人を雇う必要がなくなった=工場市場において人間の生産性はほぼゼロになったということですね。
それで、以前までロボットの仕事をしていた人たちがみんなロボット操縦者になれたのか?と言われたら、もちろんそんなことはないです。
ロボットを管理する人はせいぜい一人二人で十分
ですから、残りの多くの人は別の仕事を探したと思います。
そういう状況があらゆる業界のあらゆる場所で進んでいけば、いずれはごく一部の超有能な人しか生き残れないのは目に見えているのではないでしょうか。
ちょっと話がとっちらかってきたので一旦
資本主義に話を戻す
と、純粋な資本主義社会でいう価値とはただ一つ『生産性がある人』です。
生産性というとタスク消化とか何かを生み出すとか色んな見方があるけれど、もっと単純に言えば
『利益を生み出せる人』が最高の価値
を持っているとされ評価(=より多くのお金をもらえる)されます。
「じゃあいっぱいお金を生み出せばいいんだね」ってなると思いますが、それがどんどん困難になっていきます。
お金を生み出すのが困難になる理由
は2つあって、
1つ目は、技術の爆発的発展。
ここまで触れてきたように、単純作業がロボットにどんどん奪われていってより高度な仕事だけが残るので、対応できる人もどんどん減っていきます。
だからこそ、脳を100%使う方法とかエリート仕事術とか最高の睡眠とか、人間の能力をアップさせることで何とか対応しようという流れがあります。
ただ馬をどれだけ筋力アップさせても機関車に叶わないことがわかるように、単純な能力アップだけでは絶対に追いつけないので、いずれ脳にコンピューターをつなげる時代がやってきます。
でもそのコンピューターは全ての人が使うことができません。
それが
2つ目の理由、貧富の差です。
経済には実際にお金が回っている実体経済と数字上のお金で取引できる金融経済がありますが、この金融経済で動いているお金の総量ってのは莫大です。
というのも金融取引ではレバレッジというのがかけられて実際持っているお金の100倍とかで取引できるので生み出される利益が莫大になったりします。(もちろん損失も莫大になる)
例えば持っているお金が10万円しかなくて利益10%で1万円ですが、もしレバレッジ100倍なら1000万円の元手とみなして利益10%で100万円儲かります。
10万円しか持っていないのに100万円儲かる
って意味わからないですよね。
でもそうやって上手に稼げる人は、さらに大きな元手でさらに大きな利益を手にできるので、爆発的に持っているお金が増えていくのもイメージできると思います。
そういった状況がもっと進んでいけば、
0.01%の100兆円の資産を持っている人 VS 99.99%の月収20万円で頑張る人
みたいな構図になっていくので、大多数の労働者が持っているお金が『いかに市場にインパクトを与えないか』ということも見えてきますから、要は資本主義社会の中でどんどん力を失っていくのですね。
この、
技術発展と貧富の差
が2つ合わさると、僕を含む多くの労働者たる人々は資本主義社会の中で価値をなくしてしまい、
労働者にすらなれなくなる
のです。
労働はロボットとごく一部のコンピューターと合体したスーパー人間が補い、お金は金融で増やす。
そうすると労働市場で価値がなくなるので、労働者としても不要になります。
じゃあ、
「労働者不要の社会で僕たちはどう生きるか」
って話になってくると思うのです。
資本主義が機能しなくなった時に、何を信じどう生きていくのか?
と言うのも、少なくとも今の日本は完全に『お金教』だし、グローバリズムが進めば進むほど世界も『お金教』になっていきます。
すると、受験の偏差値教育と一緒で、お金という一つの物差しの中で価値判断される割合がどんどん強まっていって依存度も上がってしまいます。
そういう社会的状況の中で
お金教=資本主義が壊滅したら
どうなってしまうんでしょうか。
間違いなくすべての人を養うことはできないはずです。
僕はそういったことを見越して世界は少子化を進めていくんだろうなとは思っているんですけど、社会からつまはじきにされて
「お金のない人、生産性のない人は死んでね」
では、あんまりにも寂しいなって思います。
だから、
「資本主義に変わる生き方思想を構築し実践して広めていきたい」
そうやって、仮に大半の人が資本主義から弾き出されても幸せに平和に生きていけるようになってほしい。
それが僕のやってきた大好きなことたちと、社会との接点なんだ!って気がついたのです。
じゃあそれがどういう方向になるの?ってことなんですが、とりあえず走り出しの部分として今思っていることは3つです。
1つ目、資本主義ルールの中で一度ある程度の力を持つこと。
よくアンチ資本主義みたいな立場でデモとか闘争とか給料あげろーとかありますが、そうではなくて、一度ルールの中で影響力を持つのが大事です。
なぜなら力の差が圧倒的なので、ぶつかっていっても単純に潰されるし魅力的でもないからですね。
2つ目、資本主義ルールの外側で生きること。
ミニマリストさんとか2000年代に流行ったと思いますが、おんなじようにお金の影響力を最小限に抑えて別の幸せや価値を見つけていくことです。
少し前で純粋な資本主義社会の価値=生産性と書いたけれど、それとは別のルールを設定して、その価値観の中で生きていくということですね。
もちろん資本主義である以上最低限の影響力は受けますが、それでも別のルールと価値観にひたりきってしまえばその先に何かが見えてくると思います。
仮にミニマリストとかじゃなくても、何かしら合った生き方があるはずです。
3つ目、絶対定義ではなく相対定義で思想を作り上げること。
古来、どんな思想でも絶対的なルール(教義・バイブル・思想家の著書)などあったかと思いますが、それをなるべくそれぞれの状況に合わせた選択制を持たせられたらすごく良いなって思います。
というのも、絶対的なものって時間が経てば経つほど摩擦や大きな衝突が起こってくるものなので、それを避けるためにも柔軟さを残していきたいなっていうか。
だからそのためにも、なるべく問いかけを増やしてオープンソースじゃないけれどみんなで作っていくのが時代に合っているのかなあと思いました。
今はこういった3つの方向で考えているんですが、じゃあ具体的にはどういうものになるのかとか、音楽との絡みはどうなるのかとか。
その辺もまた考えながら人生の使命というかライフワークみたいな感じでコツコツ進めていきたいなって思います。
長くなりましたが、もし全て読んでくれた方いましたら本当にありがとうございます。また整理して伝えられたらと思っています。
LR/sounds.Artでした、おやすみなさい。