LR/sounds.Artでででです。
実はなんですが、
8/2(日)に主催ライブ(ワンマン〜3マン予定)
をやることになりました。
僕がギターボーカルでやっている、ナタラシズムという2ピースバンドでやります。ナタラシズムでは初主催ライブです。
100人規模のライブハウスなのでそんなに大きくなくてむしろコンパクトなんですけど、実は僕あんまり主催ライブやったことがないんです。
だからぶっちゃけちゃうと、
本気で行かなきゃいけない
というのがあります。(いつもライブは本気だけどね)
でもじゃあ「何に本気になるの?」というと、曲とか演奏はもちろんなんですが、
ナタラシズム&LRは何者か
っていうことをちゃんと伝えていかないと、わかりづらくてライブも見に来てもらえないなって思うんですね。
なので、最近ずーっと考えてたのは、
「僕は何者で、何のために音楽をしているのか」
それをめちゃくちゃに掘り下げてたんです。
掘り下げるって何をするかというと、過去と向き合って、それを書き出したりして。
わからないことは調べたり本を読んだりして、そんな作業をずっと続けてました。
そうしてハッキリしてきたのは、
LRは愛されたくて音楽をしている
ってことだったんです。
愛がない、愛されたい、でも何を吐き出せばいいのか。
上手に吐き出せないな。言葉に出来ないな。じゃあ歌にしてしまおう。
そんな感じだったんだと思います。
だから僕の歌は叫びとか聴き手を辛くしたり泣かせたりすることがあるし、ほとんどの曲で死の瀬戸際だったりして、よく聞くと悲しい曲が多いです。
(そういう曲だとみんなには愛されない、だから苦しいって矛盾はあります)
そこに気づいて、じゃあ、
「何で愛されたいのか」
よく掘り下げてみたら、やっぱりそれは小さなころの家庭環境が良くなくて、親からの愛情が欠けていたからだと思います。
あまりいい言い方じゃないかもしれないけれど、
一言で言えば毒親
なんだろうなと。
僕、子どもって誰もが「愛されて当然」と思って産まれてくると思うんですよね。
愛されて庇護されて当たり前。産まれたころから遺伝子にそう教えられていて、だから可愛らしい見た目とか声とかしていて。
愛されて当然だと思って産まれてきたのに、いざ産まれてみればいろんな愛情の欠落に直面することになります。
それで愛情の欠落で特に大事なピースが欠落しちゃうと、そこがヘコんだまま成長しちゃって、そのヘコみを埋めようとするんです。
誰かの愛情とか、寂しさを埋めてくれる存在とか。
でもそれらは
本当に欲しかった親の愛ではない
から、
「やっぱ違う、やっぱ違う」
を繰り返して、「この人も自分を助けてくれないんだな」って不信感が増えていって、自然とコミュニケーションを恐れるようになります。
僕は天邪鬼で熱しやすく冷めやすい性格だけど、その一つの原因はそんなところにあるんだろうなって思うんです。
・天邪鬼→相手の愛情を試している、様子を見ている
・熱しやすく冷めやすい→ヘコみに合うか対象を試している
(ギターをとっかえひっかえするのもこれの一つですね……)
だから自分のことを
「ひねくれてんな」
って思うし。
直したいな、そんな自分イヤだからやめたいな、ってのはいつも思っていて、それを上手くできないけど、唯一表現できるのが音楽やアートなんですね。
音楽やアートなら抽象的に自分のヘコみを埋めてくれるから、それをやっている間だけは「100%生きてる」って感じます。
だから、
本当の自分であるためには音楽やるしかない
って気づけたのは、なんていうかめちゃくちゃ収穫でした。
個人的に毒親関連はまだまだ見つめたいというか、こんだけ苦しんできたならしっかり向き合って解決したらみんなの役に立つんだろうなって思うので、なるべくもっと掘り下げたいと思います。
おんなじブログとかツイッターで書くかはまだ分からないけれど、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
LR/sounds.Artででした、おやすみなさい。