【の】スマホゲームで得たもの

LR/sounds.Artででででででででででです。

【に】僕は最近何をしているのかという記事でちょこっと触れたけれど、最近は

無意味だなあと思うことをダラダラやってたい

です。

僕にとってのそれはスマホで漫画読んだりゲームしたりすることなんですけど、とにかくだらだらゲームしてる時間が最近長い気がします。

こういうのってほんとに珍しくて、今まではなるべく音楽とか創作だけに目を向くように環境を整えて他は排除していました。

なんでかというと、創作を推し進めたいのもあるし体力精神的にあんまりキャパがないことや、根本的に誘惑に弱いので別のものが目に入るとダメだからです。

高校の時はひたすら音楽聞いてたまにギター弾いて歌ってってやってたんですけど、一方でパソコンゲームにもハマってしまっていて。

それは壊れた家庭からの逃避もあるし最低限のコミュニティ維持というのもあるし、単純にやめられない止まらないからというのもありました。

なのでその反省として

『他は排除』して『効率の良いものに集中』という生き方

をしてきて、食い扶持面ではその作戦は上手くいったんですけど音楽面では果たしてどうなんだろうという感じではあります。

なので無意味だと感じることをやってる時間なんてこれっぽっちもないわけなんですけど、それはそれで何かしら得るものを見つけることもあります。

スマホゲームで得たもの

と言えば、例えばこんなことでした。

1.周りの人に協力したい気持ち
2.数字ランキングで競う環境に強い
3.リーダー的な人の器はやっぱりある

1.周りの人に協力したい気持ち

については、僕は非常に社会性協調性の無い人間なので、あんまり「周りの人の役に立ちたい」とか思わないわけです。

(結果的に役に立ったら嬉しさはあるけれど、それ自体は全然モチベーションにならない)

なのでそんな自分でも周りの人に協力したい気持ちが生まれるんだと気づいたのは個人的にめちゃくちゃ驚くべきことで。

それぐらいの協調性は残っていたんだなと、深い森の中で子供の頃育てたキノコを見つけたような気持ちです。

何でキノコを見つけられたかはよく分からないんですけど、たぶん相手の顔が見えないし行動と言葉(チャット)だけのコミュニケーションなので、自分はこうとかアイデンティティとか面倒なことを考えずに軽く付き合えるのだと思います。

自分はこうとかアイデンティティとか出てしまうと、それに反しがちな行動をしようとした時に「こんなの自分じゃない」と思ってしまうわけで、

「協調性ないなあ」
「集団にうまく馴染めないなあ」

と自分で思っている僕は、協調的行動をしようとした時にブロックがかかって「こんなことしたら迷惑かな」とかその先を読んでしまうので結果的に社会性がない感じになってしまうのでしょう。

その点ゲームは顔が見えないし言葉と行動だけなのでそのブロックを回避出来ていて。

つまり『協力したい気持ちはあるけどその先でブロックがかかっている』という自分に気が付きました。

2.数字ランキングで競う環境に強い

ですが、かなり早いペースでレベルを上げることが出来て、今いるチーム的なところでは数週間で80位→3位までランキングが上がりました。

これは何でかなあと思うんですけど、

・効率化を考えて進めるのが好き
・負けず嫌いによる行動量

はすごく関係していると思います。

これはたぶん中学受験時代の名残で、必死に勉強してはランキングを競い合っていたので、その時に培われたものかなと思います。

思えば昔やっていたIT系のバイトでも『いかに早く正確にたくさん仕事をするか』みたいなところですごく競い合って成績出していたので、方針転換で90%近くクビになった状況でも生き残ったりしています。

なので、きっと数字ランキングではっきり見える環境には強いんだろうなあと改めて思いました。(音楽も真理探求もこれがないですね。販売枚数的なものにも全然興味ないし)

3.リーダー的な人の器はやっぱりある

ですが、これは中学の頃やってたゲームのリーダーと今やってるゲームのリーダーの喋り方とか雰囲気がなんかすごい似てるんです。

どっちも「ああ、リーダーだなあ」という感じで、引っ張っていく感じではないんですけど面白おかしく場の雰囲気を明るくして、喋りやすい環境を作っていて。

優しいけれど締めるところは締めて、なんか敵対しそうな別のチームともそのノリと雰囲気で争いを収めちゃったりしています。

その辺が昔見た人と今見てる人がどっちも共通していて、「ああ、気持ちよく場をまとめる人ってこんな感じなんだろうなあ」って思いました。

(そういえば、食い扶持関連でお世話になった人もそんな雰囲気でした)

僕にそういう性質が身につくとは思えないんですけど学ぶべきことはたくさんあるなあとも思ったりして、何かしら吸収できたらいいなあと思います。

って、

無意味そうなことをやっても結局「何か吸収しよう」になる

のは、ほんとに良くも悪くもな感じです。

確かに時間を使っているので何か得られたらいいなあとも思うんですけど、別に元を取ろうと思ってるわけでもなくて根本的に

なんでも観察して気づきを得ようとする

スタンスがあるのだと思います。

本当に何からでも気づきを得ることは出来て、道端のアリからでも出来ます。

何からでも気づきは得られる、では何から気づきを得るのか

は大切なポイントだと思っていて、例えばゲームからでも音楽からでも気づきを得られるけど、どうせなら(僕の場合は)音楽から気づきを得た方が『先々のためになる』んです。

でも『先々のためになる』は人生の効率化を考えた視点であって。

役に立つとか立たないとか価値があるとかないとか、そういう自己判断に則って物事を取捨選択してしまうと逆に変な凝り固まりが起こることにもなります。

なんか

無駄なものにこそヒントがある

のかなあとも思ったりして、それは知識としては知っていてもあまり実践することってないんです。効率厨だから。

でも基本的に「こっちのが価値ある」って視点で物事を選ぶのって今はあまり好きじゃないと言うか、

『評価』をしたくない

って想いが強くて、あんまり上下とか優先順位とかそういうものをつけたくない。

それよりも『評価対象がない』ように環境から絞っていったほうが、自分には良いんだろうなあとも思ったりします。

きっと、

『評価』で生じる『責任』を負いたくない

んでしょう。

僕は責任がめちゃくちゃ苦手なので、あんまり責任を持たされたくないです。だから色んな判断もしたくないんだと思います。

特に納得出来ずにやらされていることの責任を持つのは本当に嫌で、そこが『労働嫌い症候群』の根本なのかなと思ったりします。労働は苦役。

きっとその辺りを「この範囲だけは責任を持つ」と決めることが出来たなら、今よりちょっとだけ大人になれるんだろうなあと思ったりしました。別になりたくないけども。

それで余談ですが、さっき自分のバンド曲を聞いてて、

なんか、

「ああ、歌わなきゃなあ」

と思いました。

特に

バンド活動やらなきゃなあ

って。

前にどっかの記事で「バンド音楽もバンド演奏も好きだけど、バンド活動はしんどい」って言ったけど、しんどい原因はきっとこの辺りにあると思うんです。

・明確な目標が立てづらい(動員数とかメジャーデビューとかにほぼ興味がない)
・コミュニケーションがしんどい(自然と先を読んだり上手くやろうと気疲れしてしまう)
・評価や判断による責任を負いたくない(責任を負うのが苦手)

きっと目に見える状態が好きだから、目に見えないものを見えるように探求するのがクセになっていて、それが明瞭になりづらい環境(バンド活動)は苦しみが多いんだろうなって思ったりします。

『何のために』がないと乗り越えられない。

その点ソロは誰かから急かされることもないし、コミュニケーションや責任を負う必要はほとんどない。

たしかに明確な数字のような目標はないけれど、ソロの場合はそこはそこまでの問題ではないんでしょう。あと作曲数を目標にしたりすればカバー出来るし。

だからその意味では根本的にバンド活動には向いてなくて、でもバンド演奏は好きだから辛いなあって感じるところでもあるんです。

「やりたいけどやれない」

って感じです。

やるのもストレスだけどやらないのも常にストレス。

でもそもそもが生きてるだけでストレス感じやすい生き物なんだから、これも結局は『どこでストレス感じるか』みたいな話なのかなあと思ったりもしました。

例えばバンド活動のコミュニケーションで憤ったり悲しくなることもあるだろうし、逆にゲームで負けて憤ったり悲しくなることもあるだろうし。

そこに優劣はないしどっちも気づきは得られるけど、どうせなら前者で悲しんで憤ってた方がなんか健全なのかなあというか人生の道には沿っているのかなあとか思ったりして。

ここでも『責任を負いたくない』があって、例えば前者の『バンドでストレス』を選ぶというのは、バンド方面に人生の道を絞っていく、に通じます。

人生の道を絞る責任を負いたくない

んです。きっと。

そんなの誰でも取捨選択して生きているわけで、僕もそうやって生きてきたわけで、当たり前のことなのに『責任を負いたくない』が前よりもずっと強くなってしまったのかもしれない。

その『責任を負いたくない』を乗り越えるツールこそ『目標』であって、それがあれば頑張れるんです。ストレスがあったとしても。

でもそこが明瞭になりづらいバンド活動って僕には難しいなあというのがあって、だから何とか明瞭にしたいんですけどバンドを通してみんな仲良くなろうとか、そういうのも求めていないし。

「じゃあ何のためにやるの」

ってのがないとストレスを乗り越えられない。

でも逆にそこさえ明確になれば、きっと今よりずっと前に進めるんだろうなあと思います。

ほんとうはもっと気楽に生きたいしそっちのが色んな面でいいのかもしれないけれど、もうこういう生き物なので、何か自分なりのものを見つけていけたらいいなあと思いました。

長い文章を読んでくれてありがとう。

LR/sounds.Artでした、おやすみなさい。

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