【の】お金を稼ぐことに興味がないと、かくもこの世は生きづらい。

LR/sounds.Artでででででででです。

またとりとめのないつらつら記事ですが、

「生きづらいな〜」

ってよく思います。

例えば学生時代、特に高校時代は

・音楽を聞くこと
・生きる意味とか世界の真理を考えること

の方が勉強よりずっと楽しくて、かつ家庭や学校からの唯一の逃げ場で、それ以外のことはすべてモノクロの世界でした。

それが社会に出ると勉強→仕事へそのままスライドして、仕事は『仮の自分』として演じなければならない。

そんな仮の自分が1日8時間、拘束時間を合わせると10時間とか11時間とか続くと、とても毎日前向きに生きているとは言えない状態になります。

現代社会で普通に生きていこうとなると、ある程度は仕事(お金を稼ぐこと)に興味が持てないと、仮の自分でいる時間が長すぎて苦しくなります。

そもそも昔から不思議に思ってるんですが、

大学では色んな学部があるのに、なんで大半の人が経済に放り出されるのか?

文学部、工学部、薬学部、法学部、理学部とかいろんな学部(=世界)があって、それぞれ興味がある学生たちが入ってゆく、なのに出口は仕事(経済活動)のみに集約されていく。

つまり興味は多様なのに、それを仕事で如何に役立てるかみたいな視点の出口しかない、大学が就職予備校としての活動になってるのが変だなーって思うんです。

もっと『ロマンしかない』何も役に立たなさそうな研究とか、古い文学の美しさとか時代背景とか、そんなことに没頭しているだけで生きていける居場所がいっぱいあってもいいんじゃないかな?そういう社会が作られてもいいんじゃないかなって思うんですよね。

でも何でそういう動きが進みづらいのかというと、日本が資本主義社会で、かつ

経済=成長するもの

って前提があるからです。

「売上が伸びないとまずい」「GDPが伸びてないとまずい」「給料が上がらないとまずい」とか。経済的成長に直結する分野ほど重宝され、それ以外は(投資対象としての)優先度が下がります。特に社会に余裕がなくなるほど優先度が下がっていくので、大学の基礎研究のように予算が削られたりするんです。

でもそもそも通貨って物々交換の手段であって、物々交換の目的は過不足なく生きていくため(魚と毛皮を交換するとか)だったはずです。

だから過不足なく生きていけるなら本来の目的は果たしていて、それ以上の需要を増やす必要もなければ、生産する必要もないんですね。

でも成長しなければいけない(売上を伸ばさなければいけない)ので、

実益から離れた幻の需要

を作り出したりします。

例えば缶コーヒーって

・カフェインを取ってシャキっとする
・リラックスする
・気分転換する

とかの目的を果たせるのなら、あんなにいっぱい種類いらないと思います。

でも売らなきゃいけないので「これは朝専用コーヒー」「こっちは夕方専用コーヒー」とか名前をつけて、それっぽい理由を作るためにちょっぴり成分を変えて(夕方は甘めとか)、いっぱい宣伝することで「朝だからこれ飲もう」みたいに需要を喚起していくわけです。

そんな身近な例も『経済=成長するもの』という前提の現れであって、本来必ずしも必要ではない『欲しい』が作り出されて売上・GDPなどを押し上げて成長を目指す動きがあります。

余分なものを『欲しがらされて』そのためにあくせく働くんじゃあ苦しいばかり、じゃあ

「経済成長やめちゃえば」

そっちのが多くの人が楽に生きられるのではって僕は思わぬでもないんですが、それを難しくしているのが『グローバリズム』で、前に【と】エレキギターの金属部の質ってかなり下がったよねな話って記事でさらっと触れたんですが、周囲の国が成長していくと相対的に日本が弱くなっていくんですね。

そうなると貿易とか外交とか金融とか「やべーぜ」ってなるので、結局成長を目指さなくてはいけなくなる。あるいは鎖国的にならないといけないわけですが、敗戦国の日本ではそれも難しい。

なので結局は経済=成長からは逃れられなくて、生活レベルで言えば「お金を稼がなければ生きていけない」からも逃れづらくなっているなあということです。

ただまあ

人一人が生きていくだけなら『お金を稼ぐ』意識じゃなくても何とかなる世界もあるのかも

って思ったりもしていて。

それはあまり経済活動に関わらない生き方であったり、ただ没頭しているだけで生活できている世界のことです。ある意味、個人レベルの桃源郷みたいな。

『一番生きやすい生き方』をイメージするといつもそういうところに落ち着いてしまって、でもそういう生き方を実際に行っていくには一体どうしたらいいんだろうと、いつも袋小路にハマってしまったり。

経済活動からなるべく離れていたい、でも大学とかの研究員になるでもない、となると、なかなか取れる手段って限られてくるというか、そもそも手段って発想でスタートするものではないような気もしてきます。

だからとにかく生きづらいなあ、でも作っていかなきゃなあと、そんな日記でした。

(のんびり、のんびり)

LR/sounds.Artででした、おやすみなさい。

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