【の】ストロングゼロセラピー2

LR/sounds.Artででででででです。

こないだ、ストロングゼロセラピーという記事を書きました。

「ストロングゼロ飲んでたらパッと父の映像が浮かんで気づきがあって、幼少期の欠落から一歩進んで親離れ的な体験をしたよ」

って話です。

それで、最後の方で

あともう1つ気づきもあったんですけど、それはまた明日か明後日にでも書いてみようと思います。

って書いたんですが、そのもう1つの気づきの話をしようかなって思います。

ざっくり言うと、

「アートで認められたい」の中に「母に認められたい」が一部含まれているよね

って話です。

前の記事が父なら今回は母。ストロングゼロが両方の愛着的欠落の気づきを同時にもたらしてくれたよねというか。

うちの母は

ハイパー教育スパルタ共依存ヒステリックマザー

だったわけなんですけど、とにかく小学生時代はやばかったです。

中学受験をやったわけなんですが、一週間のスケジュールはこんな感じ。

月:ピアノ
火:なし
水:スイミング
木:なし
金:英語
土:塾
日:塾

事実離婚シングルマザー(籍は抜いてないけど長期別居)で日中働いてもいたので親としてもすごい頑張ってたなというのはあるんですけど、僕もけっこう頑張っていました。

何を頑張っていたかって、このスケジュールの中で

家に15時〜17時に帰って遅いと深夜3時まで毎日勉強

をやっていました。

塾のカリキュラムがあるんですけど、前週カリキュラムとテストの復習を週前半、次週カリキュラムとテストの予習を週後半にやって、土日でテストとテストの解説講義。

それだけじゃなくて、統一テスト(数ヶ月に一回のまとめテスト)があって、その範囲(約2〜3ヶ月分)も同時並行で勉強を進めていきます。

たぶん僕の性格でもあるんですけどそれぞれ2周やる時もあって、とにかくそれが終わらないんです。

で、終わらないだけならいいんですけど、

終わるまで真横で見られてる

時が多くって、まあ日中働いてるので親は寝てる時もあるんですけど僕は寝れないので『トイレに行って隠れて2〜3分睡眠を取る』みたいなことをやってました。(やりすぎると怒鳴られる)

小4の時はまだゆるかったんですけど小5〜小6と近づくにつれ当然どんどん厳しくなります。

しかも僕は毎週の新カリキュラムのテストは成績が悪めだったので、

毎週テストが帰ってくる日はギャンギャン叫ばれたり泣かれたりします。

怒りと悲しみを撒き散らされていました。

「なんでこんなに出来ないの」
「なんでこんなになっちゃったの」
「なんであたしだけこんな人生なの」

とか。知るか!!!

逆に統一テストではかなり良い成績だったんですが、それはそれで全然褒めてくれません。

統一テスト後の1〜2時間だけゲームが認められてましたが、それでもやってるうちにめちゃ機嫌が悪くなってきて翌日にギャンギャンが来ます。

他にもまあ、父の浮気相手らしき人のマンション前を何度も車で通り過ぎては「あれがパパの浮気相手だよ」って言われるとか(小1〜)、堤防を車で走ってる時に「このまま飛び込んで死のうかな」って言われるとか(小5)、やべーやべーってことがいっぱいありました。

そんなこんなだったので、

「褒められたい、認められたい」という想い

は、

愛着の欠落を補完するという意味

で、人一倍強いんじゃないかなーって自己分析して思うのです。

そういう性質があることを踏まえて

もうちょっと深堀り自己分析

をしてまとめてみると、

・小学校の勉強より塾の勉強に価値を感じていたように、日常より抽象的なもの(アート)に価値を感じている。
・「認められたい」は純粋にアートの世界で成功したい以外に、母に認められたい(愛着の補完)要素がある。
・アートに価値を置くのは、『スパルタ家庭からの逃避』という行動モデルがそのまま現在の『日常世界からの逃避=アート世界』になっている可能性があるのかも。

なんて考えたりしています。

ただこういうのって

「そもそも何とかなるの?」

って問題があったりして、まあ能動的に短期間で解決していくものじゃないんだろうなってのはありますよね。

時間が解決するって類のものかなーとも思います。実際昔より落ち着いているし。

でもひとつ言えるのは

気づいて整理して意識に上げることが大事

なんだと思っています。

例えばもし自分に子供が生まれた時、整理していなかったら親に教えられた『教育』を子供にしてしまうかもしれないけれど、もし整理していたら接し方を変えるかもしれない。

その方向づけをするだけで価値があって、たぶん今日このブログを書いたから、また僕の今後の行動は変わっていくんだろうなあって思ったりします。

あともう一つ言えるのは、

愛着の欠落も一つの武器

だと思ったりもするんですよね。

これは最近読んだ本なんですけど、『愛着障害の克服』という本があります。精神科医の先生の本です。

愛着障害らしきトラブルを抱えた有名人の事例がたくさん載っているんですが、夏目漱石とか川端康成とか文豪タイプの人はかなり愛着トラブルを抱えた人って多かったみたいです。もちろん太宰治も入っています。

『何もなきゃ何かを作らないのではないか』みたいな疑問もあるのでそれも当然といえば当然なのかもしれないですが、みんな何かしら抱えているんだろうなーとか。

でもそういうものがあるから出来た作品ってあるのであって、その意味では個性なのかなって思ったりもします。

日常生活は苦しい時もあるかもしれないけど、まあ何かしらゆるゆる乗り越えていけたらなあって思います。

LR/sounds.Artででした、おやすみなさい。

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