【の】旅と音楽と芸術と決意と

LR/sounds.Artででです。

さっき昔よく聞いてたピアノの曲聴きながら散歩してました。

その辺の緑とか眺めながら座ってるとすごく気持ちが落ち着いて、

「あー、これって周波数整えてるのかなー」

って思ったりします。

よくスピリチュアルとかの世界で「この世界はすべて周波数なんですよ」「良い周波数に合わせましょう」なんて言ったりします。

僕はあんまり良い悪いつけるのは良くないんじゃないかなーなんて思ったりしますが、一方で確かに「ここはなんか良くないな」「ここはいいな」とかそういうのはあって、自然に近い場所は本来の周波数を取り戻してくれる気がします。

それで、そうやって佇んでるうちに、

「旅が必要かも」

って思いました。

なんで旅なのかは理由がわからないけれど、なんというか昔からめちゃくちゃ散歩が好きで、疲れるたびに外を何時間も歩いていて。それも周波数を整えてるのかもしれません。

そうやって何とはなしに歩いている時間がとても好きです。

なので、

旅を自分の人生の中心に据えてみたいなー

なんて思わぬでもなくって。

なんかおもちゃみたいな楽器もって、なるべく軽装で、動画とか音声とか取りながらあちこち旅して、そこで録音してみたいなーなんて思ったりもします。

僕が今お気に入りというか情熱がある音楽的なものってbrainfaceのシリーズで、

これはすごく僕の今まで思い描いてた世界と近くって、今後の人生のヒントを与えてくれます。

でも一方で、

「自分という人間そのものか?」

と心に問えば、それは何か違くて。

ちょっと見栄はってるというか、「僕の思う音楽芸術とはこういうものだ」みたいなところが何となく透けてみえます。そういうの良くない。

いや、良し悪しじゃなくてそれがやりたい時はそれをやればいいんだろうけど、もっと自分という人間の人生と統合していきたいというか、

「好きって思えるもの」「自然とやってしまうこと」

とかを、もっと自然とそのまま出していきたいなあなんて思います。

そう思った時に、旅と音楽と芸術と。

なんかそういう感じで人生を作っていけたらいいなと思うのと、

「いつ死ぬかわかんないんだからいい加減決意しろよ」

みたいな心の声が聞こえてくる気がします。

義務が増えると権利は表現しづらくなります。でも権利を表現すると義務の繋がりが消えて孤独になりやすいです。

スキルも知識も経験も、たぶん僕はいっぱい持っていて、だからこそ縛り縛られている部分はあるのかなあと思ったりして。

一度どこかに出かけてみて、周波数整えてみようかなーと思いました。

LR/sounds.Artでした、おやすみなさい。

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